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『星月夜』解説

『星月夜』解説

文:池上 冬樹 (文芸評論家)

『星月夜』 (伊集院静 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 残酷で、とてもやりきれないけれど、作者はあえて不幸な物語を選んだ。あえて悲しみから逃げない道を選択した。岩手の康之は息子夫婦を山津波で失い、たった一人の孫娘が生き甲斐だったのに、その孫娘をあえて犠牲者に選んだ。それは島根の由紀子も同じだろう。事件の真相に関わるので曖昧に書くけれど、彼女もまた大きな痛手を受ける。それが仙台で大震災を経験した作者の考えなのである。生きているがゆえに悲しみを抱くのだ。なんと残酷な運命だろう。でも生きていかなければならない。

 それでも生き続けるということが君たちの、私たちの使命です。哀しみをかかえることは仕方がないにしても、哀しみにあまんじてはいけない。歴史を知ればわかるはずだ。北の地はこれまで何度も大きな地震に見舞われ、それでも街が、人が、故郷が喪失することはなかった。それは生き残った人々、その人々に手を差しのべた人々が、辛くとも生きることが、故郷、母国の再生につながると信じたからだ。若い時に経験した苦節、忍耐は必ずその人の人生に光を与えてくれる。(文春文庫『伊集院静の流儀』所収「特別寄稿 日本人の流儀――若者よ、哀しみをかかえて生きよ」より)

 これを読めば作者の思いの深さがわかるだろう。一人農業を営む佐藤康之は若くはない。人生の終盤でそのような哀しみを与えなくてもいいではないかと思うかもしれない。でも、大震災後の読者にとってはそれが必要なのである。悲しみをいやすのは娯楽ではない。励ましでも同情でもなく、別の悲しみなのである。そこではじめて自分だけが辛いのではないことを知り、慰めを覚えるのである。

 もちろん悲しみをいやすほどの悲しみを描くことは難しい。それでも作家は言葉の力を信じる。「小説は作家が選び抜いた言葉で成立しています。小説は人の人生をかえるなんてことはできません。しかし人の哀しみに寄りそえると信じているんです」(同)と。

 実際、孫娘の死を悼む老人と、その悲しみに寄りそう刑事たちを描くラストシーンは、いつまでも読者の胸に残るだろう。悲しみに寄りそっているからだけではない。運命がもたらした悲しみにともなう強さも描かれてあるからだ。愛も、喜びも、幸福も奪われてしまったけれど、亡くなった人間の魂のもっともよきものが残され、残された者の人生を照らすからである。

 本書『星月夜』には強い悲しみが流れている。目をつぶり、忘れることもできない、逃れえない過酷な現実がある。しかしかぎりなく悲痛であるけれど、同時に慰撫する力も充たされている。冒頭で僕は「なんと悲しく、辛く、同時になんと温かいのだろう」と書いたけれど、そう感じとるのは決して僕一人だけではなく、『星月夜』を読んだ人ならみなそう思うだろう。

星月夜
伊集院静・著

定価:640円+税 発売日:2014年05月09日

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