文春写真館

田部井淳子は、がんに冒されながら登山の楽しさを伝えた

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部
田部井淳子は、がんに冒されながら登山の楽しさを伝えた<br />

 女性として世界で初めてエベレストに登頂した田部井淳子は、昭和十四年(一九三九年)、福島県生まれ。昭和三十七年、昭和女子大学英米文学科を卒業する。

 日本物理学会で働きながら、社会人の山岳会に入り、本格的に登山を始める。昭和四十四年、「女子だけで海外遠征を」を合言葉に女子登攀クラブを設立。翌年、アンナプルナIII峰に遠征して登頂を果す。

 昭和五十年、エベレスト日本女子登山隊の副隊長として遠征。第二キャンプでテントごと雪崩に巻き込まれる危機に遭遇しながらも、登頂に成功した。帰国後は、本人の想像をはるかに超える賞賛の嵐に出迎えられ、悩みを抱える時期もあったとされる。

 それでも、昭和五十六年のキリマンジャロ(アフリカ大陸)登頂に続き、アコンカグア(南米大陸)、デナリ(マッキンリー=北米大陸)、ビンソン・マシフ(南極大陸)、コジオスコ(オーストラリア大陸)、そして平成四年(一九九二年)、ヨーロッパ大陸最高峰のエルブルスに登頂し、女性として世界で初めて七大陸最高峰登頂者となる。

 テレビでみせる穏やかな話しぶりや、エッセイにこめられた山に対する熱い思いもあって、国民的な人気を呼んだ。

 晩年は平成十九年(二〇〇七年)に乳がん、平成二十四年にがん性腹膜炎を患い、さらに平成二十六年には転移性脳腫瘍と三度も冒されながら、山登りの楽しさを多くの人に伝え、ひたむきに登山を続けた。

 平成二十八年七月、東日本大震災への支援活動として「東北の高校生の富士登山」というプロジェクトが最後の登山となった。

「ゆっくり上を目指したが、三十分と続けて歩けない。なんだ、この足は。左足のももがまるで鉛の中に浸けられたようで上に上がらず、かつて感じたことのない固い義足のような足首。それでも歩み歩みノロノロと進む。雲海が紫色になり西の方は薄いピンクに染まっていた。

 こういう風景を高校生に見せたかった、と思う。体は辛いけど、こういう場にいる自分がうれしい」(田部井淳子著『再発 それでもわたしは山に登る』文藝春秋刊)

 平成二十八年十月二十日、永眠。写真は同年四月撮影。

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