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黒澤明監督がほれ込んだ三船敏郎の繊細さ

黒澤明監督がほれ込んだ三船敏郎の繊細さ

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

「世界のミフネ」と呼ばれた三船敏郎は、大正九年(一九二〇年)、中国・青島生まれ。貿易商、写真業を営む父は、大連に移り、スター写真館を開業する。兵役に就くが、戦地に赴くことなく、終戦を迎えた。戦時中、東宝撮影部の助監督と出会ったことから、カメラマンの仕事を求めて砧撮影所を訪れたが仕事はなく、すすめられるままニューフェース募集に応じる。このとき審査に加わっていた高峰秀子が黒澤明に知らせて、二人は出会うことになる。三船は山本嘉次郎監督の推薦もあり、補欠で合格する。

 昭和二十二年(一九四七年)、「銀嶺の果て」でデビュー。翌年、黒澤明監督の「酔いどれ天使」で主役デビューを果たす。以後、黒澤監督作品の顔として、活躍する。昭和二十六年、「羅生門」でベネチア映画祭で金獅子賞を受賞。「世界のミフネ」の第一歩を記した。

 以後、最後の主演作品、「赤ひげ」まで、通算十七年間で、黒澤作品で三船が出演しなかったのは、「生きる」のみだった。

 平成九年(一九九七年)十二月没。黒澤明は弔辞で、「酔いどれ天使」で主役のやくざを演じたときの様子に触れて、

「そのとき僕は、今までの日本の俳優には見られなかった、三船君のスピーディな演技にド肝を抜かれました。それでいて、驚くほど繊細な神経と、デリケートな心を持っているので、荒っぽい役でも、単なる粗暴な性格にはならないところが魅力でした。とにかく僕は、三船という役者に惚れこみました」

 その黒澤明も、平成十年九月、あの世に旅立った。

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