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サブカルチャーの元祖、植草甚一

サブカルチャーの元祖、植草甚一

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 映画評論、ジャズ評論、さらにはミステリーをはじめ欧米文学の紹介と、幅広い分野で活躍した植草甚一は、東京市日本橋の木綿問屋の一人息子として、明治四十一年(一九〇八年)に生まれた。関東大震災で実家が被災し、家業は没落する。早大理工学部に進学するが、在学中に劇団のポスターやイラスト制作に熱中する。学費未納で早大を除籍され、昭和十年(一九三五年)東宝に入社。映画評論を「キネマ旬報」に発表するようになり、また、洋画の字幕スーパーの翻訳もてがけた。宣伝部や調査部に勤務するが、戦後、労働争議で退職する。昭和二十年代半ばから、映画評論を本格的に書き始めて、ニックネームのJ・Jを使うようになる。

 また東京創元社の「世界推理小説全集」の監修や「クライム・クラブ」の解説を担当し、ミステリ愛好家に大きな反響を呼んだ。さらにジャズ評論をてがけ、とくにモダンジャズを好んだ。

 昭和四十年代から、「平凡パンチ」など若者向け雑誌に登場し、植草ブームが巻き起こる。昭和四十六年ころには、原稿用紙で月産三百枚を執筆する多忙ぶりだった。昭和四十八年、「ワンダーランド」の責任編集となり、これが後の「宝島」となる。サブカルチャーの元祖として、若い世代に支持された。

 写真は昭和五十二年撮影。昭和五十四年没。

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