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『イン・ザ・ブラッド』解説

『イン・ザ・ブラッド』解説

文:酒井 貞道 (ミステリ評論家)

『イン・ザ・ブラッド』 (ジャック・カーリイ 著 三角和代 訳)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 以上、シリーズ全体の話をしたので、刊行順に読んでいかないと面白くないのではないかと危ぶまれそうだが、それは杞憂である。本シリーズは、各作品単体でも十全に楽しむことができるのだ。本書『イン・ザ・ブラッド』もまた、それだけで独立して楽しめる。

 本書の特徴は、何といっても、カーリイの新生面を強く打ち出しつつ、論理的構築性の水準を高いままで保っていることだろう。

 この物語は、海辺の家にいる若い男女が襲われるところから始まる。アナックとレベッカというこの男女は、襲われる直前に謎めいた会話(「マティアス博士」という名前も見える)を交わしており、何か事情があることは読者には早々に予見可能である。だがその事情が判明するのは、物語がさらに進んでからだ。

 一方、PSITでコンビを務めるカーソン・ライダーとハリー・ノーチラスは、カーソンの自宅前の海原で、漂流する小舟を発見する。そしてその中には、赤ん坊が……。その赤ん坊は二人の手で救出されて一命をとりとめるも、身元が全くわからない。カーソンとハリーは、潮流を計算して、赤ん坊を乗せた舟がどこから来たかを推測した。そして候補地の一つで、焼けた家と銛で刺された他殺体を発見する。

 そちらの捜査は一旦地元の警察に任せ、モビール市警の職場に戻った二人は、新たな事件発生の通報を受けて現場の教会キャンプに向かう。そこには、縛られて調教されるのを楽しんでいたように見える、女物のショーツを穿いた男の死体が、逆さ吊りにされていた。その男は有名人だった。そう、人種差別の傾向が強いとされる説教師リチャード・ブローシング・スカラーであった。スカラー師は学校の経営に関与しており、保守系上院議員の有力支持者でもあったため、利害関係者は多い。おまけに、スカラーの社会的立場から見て、この死に方はあまりにもスキャンダラスだった。カーソンとハリーは、彼の死が事故だったのか殺人だったのかを綿密に調べることにする。

 これらに加えて、マティアス博士が誰か/何かを探している断章が随所に挟まれて、物語は進行する。

 赤ん坊の事件と、スカラー師の事件。この二つの事件は、少なくとも最初のうちは完全に別件として扱われる。カーリイは先述のとおり、構成の妙で日本の読者にアピールしてきた面が大きいのだが、既存四作品いずれにおいても、一見してメインとわかる派手な事件が起きて、主人公らがそれを追うという、比較的シンプルなストーリーラインを採用していた(言うまでもないが、事件の真相や、そこに至る筋道がシンプルだというわけではない。それは全く別の話である)。『イン・ザ・ブラッド』のように、一見無関係に並行して進む二つ以上のプロットを同時に手繰ったことは、これまでなかったのだ。

 この手法は諸刃の剣である。ややもすると話が混乱した印象を与えかねないからだ。しかしそこはカーリイ、実に見事なプロットさばきで読者に混乱や退屈の暇(いとま)を与えない。そしてスカラー師と赤ん坊の関係がうっすら見えて来た頃から、事件はさらに緊迫の度を増し、それ以上に、悪魔的な様相を呈し始める。もちろん、どう「悪魔的」かは、ここでは書かぬが華であろう。いずれにせよ、カーリイが『イン・ザ・ブラッド』において、従前とは異なるタイプの作品をものして、自らの創作手法のバリエーションの豊かさ、そしてそれを描く手腕の確かさを力強く立証したことは疑いがない。

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イン・ザ・ブラッド
ジャック・カーリイ・著 三角和代・訳

定価:830円+税 発売日:2013年10月10日

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