本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
愛煙家だった木下恵介が集めた灰皿のコレクション

愛煙家だった木下恵介が集めた灰皿のコレクション

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

 黒澤明とともに、日本映画の黄金時代を牽引した木下恵介は、大正元年(一九一二年)、静岡県浜松市生まれ。実家は食料品店だった。尋常高等小学校時代から映画に親しむ。浜松工業学校卒業後、上京して松竹蒲田撮影所に入社する。昭和十一年(一九三六年)、松竹大船撮影所に移り、島津保次郎の助監督となる。

 昭和十五年応召。中国戦線に送られるが、病気を患い、帰国する。昭和十八年、「花咲く港」で監督デビュー。

 昭和二十六年、日本初のカラー長編、「カルメン故郷に帰る」を発表し、日本映画文化賞、ブルーリボン賞を受賞する。昭和二十九年、「二十四の瞳」でブルーリボン賞作品賞など数多くの賞を獲得する。「野菊の如き君なりき」(昭和三十年)、「喜びも悲しみも幾歳月」(昭和三十二年)、「楢山節考」(昭和三十三年)と、次々と戦後を代表する傑作を世に送り出した。昭和三十九年、松竹との関係が悪化したのを理由に退社し、木下恵介プロダクションを設立する。テレビドラマ制作をてがけ、TBSでは「木下恵介アワー」としてシリーズ化された。

 平成三年(一九九一年)、文化功労者に選ばれる。平成十年没。

 俳優がスクリーン上で喫煙するシーンは、かつては効果的に使われ、木下作品でも、「カルメン故郷に帰る」で主役の高峰秀子が煙草を吸うシーンが印象的である。写真は、愛煙家だった木下が集めた灰皿のコレクション。

「全部洋行記念品で数えたことはないが百個前後だろう。行く先々の特色ある灰皿がモットーだが、集め始めてまだ十年。人前に出せる程ではない。田舎町などでなかなか見つからない悲哀は、蒐集家らしく一応味わっている。けれど探し出した時は楽しい。つい買い過ぎて重いのに閉口するハメに陥る」(「オール讀物」昭和三十六年一月号)

ページの先頭へ戻る