2016.07.18 書評

もう駄目だというときに、自分をささえ、再び立ち上がらせてくれた言葉たち

文: 五木 寛之

『杖ことば』 (五木寛之 著)

『杖ことば』 (五木寛之 著)

 あるとき、〈杖ことば〉という言い方を耳にしました。

 ともすれば、しゃがみ込みたくなるようなとき、人生の苦難の旅路(たびじ)を共に歩き、その一歩一歩を杖となってささえてくれる言葉をさすのだといいます。

 人間は言葉によって傷つき、また言葉によって癒(いや)され、救われることはもはや当たり前のことでしょう。

 ことに日本人は昔から、言霊(ことだま)といって、言葉には霊(れい)が宿(やど)り、特別な力があると信じてきました。

 日本だけではなく、東洋の宗教やヨガの行者(ぎょうじゃ)は、神仏(しんぶつ)への祈りや讃歌(さんか)をマントラという短い真言(しんごん)にこめて唱(とな)えてきました。

 キリスト教文化では、言葉をロゴスといい、新約聖書(しんやくせいしょ)の中で、「はじめに御言葉があった。御言葉は神とともにあった。御言葉は神であった」と書かれています。

 洋の東西を問わず、言葉は単なる言語の働きを超えた力ある実体と考えられていたようです。

 杖ことばとは、そのような霊力ある言葉が杖の形に変化して、倒れそうな人間をささえる、そういうことなのではないかと思います。

 私自身、もう駄目(だめ)だと思うときに、いくつかの言葉によって、ささえられて、今日まで生き延びてきました。崩(くず)れ落ちそうな自分、もう諦(あきら)めてしまいそうな自分をささえ、再び立ち上がらせ、もう一歩進んでみようかという気にさせてくれるのが、杖ことばなのです。

 それは、人生、かくあるべきだといった、大上段(だいじょうだん)にかまえた箴言(しんげん)、金言(きんげん)ではなく、もっと、もっと、さりげない言葉、素朴(そぼく)な言葉のような気がします。

 日々の暮らしの中で、どうにもこうにも行(い)き詰(づま)り、立ち止まってしまったとき、その言葉を思い出し、固まった心身をほぐしてくれるようなもの。

 例えば、長い連載(れんさい)小説を抱(かか)えているとき、どうしても、アイディアがうかんでこないで、もう投げ出してしまいたいような衝動(しょうどう)に駆(か)られることがあります。

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杖ことば
五木寛之・著

定価:本体690円+税 発売日:2016年07月08日

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