2015.01.04 書評

有吉佐和子のほんとうの姿

文: 伊吹 和子 (エッセイスト・もと編集者)

『ほむら』 (有吉佐和子 著)

「解説」は、いわゆる「文芸評論」の専門家によって執筆されるのが本来である。私にはそう呼べる力の持ち合わせはない。恐らくこの欄の執筆者としては異質であろうと承知している。さらに原作者の死去から、すでに三十年、社会全体の激変ぶりは、想像を絶している。私がこの欄を担当するにはいろいろな意味で不適切であることを知りながらも敢えて試みることにしたのは、「有吉佐和子」という人の声を聞き、日常に触れ、かつまた同時代を生きた者として、その実在の姿の一片を伝えておくことも必要か……と考えたためである。

 この一冊『ほむら』は、著者の初期――一九五五(昭和三〇)年三月から一九六一(昭和三六)年まで――に諸誌に発表された短編小説七編に戯曲台本一編を合わせて、講談社から単行本『ほむら』として刊行された(一九六一・五月)ものをもととしている。この作品群が生まれた時期に重なって『地唄』(一九五六)、『紀ノ川』(一九五九)が発表され、同じ第十五次「新思潮」の同人曽野綾子氏とともに「才女の時代」と云われて、彼女の作家としての活躍の場は確固としたものになっていた。

『ほむら』に収められているもののうち、「落陽」だけは、一度一九五四年に同人誌に「落陽の賦」として発表、のち大幅な改稿を経て一九六一年三月に雑誌「小説新潮」に掲載、という経緯がある。

 新しい雑誌は三月号なら二月の始めに配本になる。その日、私は谷崎潤一郎氏の原稿の口述筆記のために氏邸の書斎にいて、氏の午睡の間の暇潰しに、ちょうど贈呈されて来ていた「小説新潮」のページを繰ってみたのであった。早春の日射しが窓のガラスを通して部屋を暖めており、デスクが反射して少し眩しく思ったのをはっきりと覚えている。そこに「落陽」があった。

「落陽」は、紀元前三三年、はるかな昔の中国にいたという絶世の美女王昭君の説話を題材にした小説である。王昭君は、歿年は不詳ながら、実在した人物として百科事典にも掲載されている。仕えていた前漢の元帝の後宮から匈奴の呼韓邪(こかんや)単于のもとに、国の和親政策の犠牲者となって嫁がされたという。年を経るうちに、さまざまに脚色されて哀切な説話のヒロインとして伝えられた。元帝の後宮の多数の官女たちが、帝の寵愛を得ようとして多額の賄賂を画工に贈り、美しい肖像画を描かせた中で、昭君だけは賄賂を贈らなかったので、その肖像はみすぼらしく描かれ、そのために匈奴に下賜されることになった。僻地へ向かおうとする昭君を閲見した帝は、その真実の美貌に驚いて後悔し、間もなく画工を処刑した――というのが、一般的な話の筋である。画工は、名はもちろん、そもそも実在したかどうかもあやしいのだが、この物語は李白や白居易の詩にも詠われ、楽曲や戯曲ともなって日本にも伝来し、雅楽にも取り入れられた。

 ところが、有吉作品の「落陽」では、ヒロインとしての王昭君は、あまり詳しく書かれてはいない。主人公は作者によって「楊」という名を与えられた老いた画工である。そして作品の主題は、美人の肖像を何度描こうとしても描き切れぬわが腕に対する老画工の絶望であり、その絶望は周りの誰にも理解されないまま、画工は孤独のうちに処刑される。一方、王昭君は、自分が後宮に献じられると決まった時から「将来を全く期待しない」という分別を己に課し、全ての感情を心のうちに封じ込めていた。彼女はその凍てた心のまま、やがて僻地へ送られ、その地で果てたのであろう。しかし、その様子は何も書かれず、そのためかえって楊の翳(かげ)に包み込まれ、絶望の深さを想像させる(有吉さんの生涯を通じての夥しい作品のすべてが女性を主人公にしたものであるのに、「落陽」だけは、老いた画工という冴えない男が前面に描いてあり、紗幕を透した向こうに実はヒロインがいるのである)。

 美しい哀話ではあるが安易に語り伝えられていた王昭君の物語が、ここでは深味のある〈文学〉に昇華している。私は瞠目した。『地唄』や『紀ノ川』はこの前後に読んでいたはずだが、私にとってはこの「落陽」が〈文学〉としての有吉作品との最初の出逢いであった、という気が今でもしている。

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ほむら
有吉佐和子・著

定価:本体580円+税 発売日:2014年12月04日

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