2015.08.07 書評

皿からはみ出した「かけがえのないもの」

文: 江 弘毅 (編集者・著述家)

『ステーキを下町で』 (平松洋子 著/谷口ジロー 画)

 飲食店のことや外食での食べものについて書いたり編集する、という仕事が生まれたのは、タウン誌やグルメ誌が出回るようになった80年代前半あたりだろうか。

 どこでどんな商品やサービスがいくらで買えるかの情報。政治や事件やプロ野球のことなどではなく、「消費にアクセスするための情報」に特化したのが、タウン誌やグルメ誌をひっくるめての「情報誌」というものである。「消費」という冠が取れて「情報誌」なのがまさに「消費社会」を謳歌する時代を物語っているようだ。その情報誌が飲食店の食べものやお酒を扱いだしたのは、順番からいうと映画やコンサートやイベントの内容やスケジュール、服やスニーカーや時計といった商品が主要コンテンツになった後だ。

 わたしは街の飲食店が情報誌に掲載されることが嚆矢とされた時代から、まさにそのような仕事に長く携わっている。けれどもグルメライターとして星付きレストランはすべてチェックしたとか、地元関西のラーメン店を300軒まわったとかではまったくない。

 また「フードジャーナリスト」あるいは「グルメ評論家」といったような肩書きでものを書いたりすることもない。それは何だか面映ゆいというか、世間に申し訳ないというか、ちょっと恥ずかしいことだと常々思っているからだ。そのような肩書きを借りて「わたしの書く『食』の記事は消費のための情報ではないです」とエクスキューズしたところで、実際に取り扱って印刷媒体誌面やHPのサイトに掲載したコンテンツは、自分が店に行ってそこで商品となっている食べものを消費してきて、それを書いたものに違いない。食べたあとに「これは仕事だ」とばかりに領収書をもらって帰ることもある。普通の職業人がその仕事の収入でもってメシを食べるというところからするとかなり変だ、というか「違う」のだ。

 平松洋子さんが書く食べものについての文章は、それが飲食店を訪ねて食べたそのままのことがらなのに、他の人が書くものとは完全に一線を画している。端的に消費情報ではないのだ。それを可能にする文章や文体のアクロバシーは「食べものについて書くこと」のある種の自己意識からきているとわたしは思っている。誤解を承知で言えば「食べたことを書くことを仕事にする」ことにテレたり韜晦したりすることがあるかないかだ。

 そのうえでこんなことを言うと「やめてください」と平松さんに叱られるかも知れないが、平松さんは相当の「食通」であると思うのだ。グルメは「消費者」であって食通は「生活者」の範疇だ。

 おいしいものを求めてあっちこっちと食べ歩くことや、いつもお金と引き替えに人に何かをしてもらおうといった消費者的スタンスは、それを下支えする情報リテラシーに左右されがちで、だからこそ大量なグルメ情報を必要とする。食べログなどで見られる、店に対する消費者同士のある種のユーザー的連帯はその極北ではないかと思う。

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ステーキを下町で
平松洋子・著/谷口ジロー・画

定価:本体580円+税 発売日:2015年08月04日

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