もう四、五年前になるが、両親が一軒家からマンションに転居することが決まり、私は荷物整理を手伝いに頻繁に実家を訪れていた。ある日、父が捨てようとした荷物の中にあった写真をなにげなく見て、腰が抜けそうになった。それは、父と韓国の金泳三元大統領が並んでいる写真だったのだ。
私は父になぜこんな写真が家にあるのかを尋ねた。すると父は、元大統領とは毎年クリスマスカードを贈り合う仲だという。「私の人生はたいしたものじゃない」と過去をまったく語らないが、いったい父は何者なのだろうかと思った。「金大中と撮った写真もあったが、捨ててしまった」とこれまた驚くようなことまで口にする。
頑固者で、怒鳴ってばかりの父には、どうやら家族に見せる姿とは別のものがあるらしい。父の来し方を娘の私が残さなければならないと半ば使命を感じ、私は父からの聞き取りを始めた。十六歳で玄界灘を越えてきた父の人生は波瀾万丈で、物語に満ちていた。
ルーツを知るという作業は、在日コリアンとして生まれた自分をありのまま抱きとめていく過程なのかもしれないと思う。父の話を聞くことは、いつしか私自身が救われる時間となっていった。
昨年『ひとかどの父へ』を刊行し、父をモデルとした人物を登場させた。しかし、真正面から父の人生を描くことはしなかった。今回は、体当たりをしようと思う。ままならない人生を真摯に生きた男に寄り添って、フィクションのなかに、真実を描き出したい。
「別冊文藝春秋 電子版8号」より連載開始