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これから〼〼(ますます)の飛躍を期待

これから〼〼(ますます)の飛躍を期待

文:細谷 正充 (文芸評論家)

『虫封じ〼』 (立花水馬 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 そしてラストの「銭がえる」は、銭の亡者の樽屋善兵衛に取り憑いた、かえるの霊物を、影郎が取り除く。といっても特別なことをするわけではない。一連の騒動から浮かび上がる、善兵衛と周囲の人々の想いが、本作の眼目であろう。いたずらに悪人を創らないシリーズの、締めくくりに相応しい、温かな読み味が嬉しいのである。

 さらに全体を彩る、虫の扱いにも注目したい。作中で何度も影郎は、「虫というのは、悩み苦しむ人の情念が形となったもの」といっている。たしかに物語に出てくる虫は妖怪のようだが、要は人間の心が生み出すものなのである。そのことを熟知している影郎が、騒動や事件について常に慎重な態度をとるのは、当然といえよう。虫という異形を通じて、人間の本質に迫るところも、本書の大きなポイントとなっているのだ。

 おっと、注目すべき点は、もうひとつあった。幻の医学書『医心方』が使われていることだ。平安時代の医家である丹波康頼によってまとめられた『医心方』は、現存する日本最古の医学書である。時代小説の熱心なファンなら、山田風太郎の『秘戯書争奪』で、忍者が争奪戦を繰り広げるお宝として登場したことを、思い出す人もいるだろう。というか、私がそうだ。高校生の頃に『秘戯書争奪』を読んだときは、『医心方』のことなど知らず、後に実在の医学書と知って驚いたものである。

 その『医心方』を、主人公の正体に対する興味を掻き立てるガジェットとして使用しているのだ。作者も面白いところに、目をつけたものである。しかも「黒い舌」で、杉田八百を通じて影郎に接近する医者として、多紀茝庭が登場するではないか! あまり先走ったことは書けないが茝庭は、この時代における『医心方』のキー・マンなのだ。続く「銭がえる」でも、茝庭の『医心方』への想いが、影郎の心境を変化させていくことになる。なるほど、実在の人物と医学書を、このような形でフィクションと融合させたのか。新人とは思えない作者の手腕に脱帽である。

 小説の応募者には、何度も落選を繰り返すうちに、新人賞を獲得することが目的になってしまう人がいる。でも新人賞は、あくまでも作家になるための手段であり、出発点に過ぎない。デビュー作をシリーズ化して、第一著書となる本書を刊行した作者は、ようやく本当の意味で、小説家になることができた。しかも各話の面白さで、さらに小説家としてやっていける実力を見せつけてくれたのである。さらに「銭がえる」を読むと、まだまだ本シリーズは続きそうだし、新人賞の投稿歴を知ると、他の引き出しも多そうだ。だからいおう。これからの〼〼の飛躍を期待させてくれる作家の誕生を、心の底から喜びたいのである。

虫封じ〼
立花水馬・著

定価:本体700円+税 発売日:2015年10月09日

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