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狩野永徳は山本兼一だ

狩野永徳は山本兼一だ

文:澤田 瞳子 (作家)

『花鳥の夢』 (山本兼一 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

 芥川龍之介の「地獄変」の主人公である絵仏師・良秀(よしひで)が、地獄絵図を描くために己の娘を見殺しにした如く、絵師も、物書きも、音楽家も、無から形あるものを生み出す者はみな、時に死すらも冷徹に観察せずにはおられぬ、罪深い存在である。

 さりながらその業の深さに溺れきっては、まさに人面獣心の鬼畜同然。絵師を例に挙げれば、その激しい業を身内に秘めつつ、あくまで表向きは端正に筆を走らせて、見る者の魂を揺さぶることが、その身に課せられた務めと言えるであろう。

 本作『花鳥の夢』冒頭において、まだ十代の狩野永徳は、緋連雀の骸(むくろ)を前に嬉々として筆を走らせる己を顧み、「絵師は、非道な生き物だ」と衝撃を受ける。

 さりながらそれをただの詠嘆では終わらせず、自らの業を直視してなお天下一の絵師を志す主人公の決意は、もしかすれば若き画人の姿を借り、筆者が作家としての覚悟を自身に問いただしたものなのかもしれない。

 京都にお住まいだった山本兼一氏が本作を『別册文藝春秋』に連載なさったのは、二〇〇九年十月から二〇一二年八月にかけて。それとほぼ同時期の二〇一一年一月から二〇一二年五月、やはり京都に仕事場を持っておられる作家・安部龍太郎氏が、永徳のライバルである長谷川等伯を主人公とする『等伯』を日本経済新聞に連載され、これによって二〇一二年度後期の直木賞を受賞された。

 常日頃から親しい作家二人が、同時代のライバル絵師を同じタイミングで取り上げたのは、あくまで偶然と聞くが、それはとりもなおさず、この安土桃山という時代が、政治史のみならず美術史の上でも、非常に魅力に富んだ時代であるゆえと言えよう。

 かたや狩野派の棟梁として生を受け、時の権力者たちの寵愛の下、安土城・大坂城など今はなき名城の障壁画を次々と描いた永徳。かたや京から遠く隔たった能登に生まれ落ち、狩野派の圧力にも屈することなく、独自の画風を生み出した等伯。この対立は、既存の勢力が凋落もしくは変革を余儀なくされる一方、新興勢力がかつてない大胆さで中央に躍り出るという当時の社会の新しい構造が、美術の世界でも起きていたゆえのことと考えられよう。

 安部龍太郎氏は『等伯』の直木賞受賞時のインタビューにおいて、そんな有為転変の世に生きた等伯に言及した上で、「等伯は私である」とのお言葉を述べられた。

 ならばそれに対して私は、誤解を恐れることなく、

 ――永徳は山本兼一である

 と、ここで断言したい。

 山本氏の描く狩野永徳は、乾坤の精髄を筆に絡め取ろうとの崇高な誓いを胸に、長谷川等伯に激しい嫉妬を抱きながら、狩野派棟梁としての画業に日々追われ、時には一門興隆のため、描画の喜びすら見失いがちとなる悩み多き人物。

 作中、彼は前出の緋連雀の絵を皮切りに、四季波図屏風、足利義輝の依頼による洛中洛外図屏風など数多くの作品を手がけているが、そんな永徳の心象を端的に表しているのが、二つの龍図である。

 一作目は二十五歳の永徳が、近衛前久の新邸の座敷に描いた襖絵。二作目は豊臣秀吉の命を受け、東福寺法堂天井に描いたそれである。

「すべて絵師のこころから生み出さ」れ、「絵師の生きる姿勢の強さ、弱さがあからさまにあらわれる」龍を描くこれらの機会に際し、永徳は二度ともに、等伯の手になる龍図を目にする。そして等伯の絵の強靭さ、繊細さに気圧されるとともに、それに負けてはならぬと、狂おしいほどに煩悶するのである。

「龍はおれだ」と言う永徳の目に、天賦の画才を有する長谷川等伯は、きっと虎の如き宿命のライバルと映ったであろう。さりながら永徳の苦悩は、決してそれだけでは終わらない。等伯を狂おしいほどに妬み、果てには御所御用から排除すらした永徳は、「絵は楽しんで描け」という秀吉の言葉に、若き日の描く喜びをありありと思い出すのだ。

 そして彼は東福寺法堂に龍の絵を描きながら、自らを絵の神のよりどころと見なし、身体の異変すら厭わず筆を走らせる。数々の懊悩を跳ね除けるかのようにただひたすら龍を捉えんとするその場面は、晴れやかかつ清冽であるがゆえにかえって、読む者の胸に言葉にしがたい哀切さをもたらす。

 無数の煩慮から解き放たれ、自由奔放に絵を描く境地に至った永徳はきっとその瞬間、風雲を呼び、天空を駆け抜ける風に乗って、大いなる空へと飛翔する龍と一体化し、様々な苦悩がひしめくこの世をひとまたぎで飛び越えたのに違いない。

 山本氏は二〇〇二年の『戦国秘録 白鷹伝』でのデビュー後、二〇〇四年には安土城築城に関わった番匠たちの刻苦を描いた『火天の城』で、松本清張賞を受賞。同作が直木賞候補にも選出されたことから、一躍時代小説界の寵児となられた。以降も織田信長に仕えた橋本一巴を主人公とする『雷神の筒』、伝説の刀工・長曽祢興里(ながそねおきさと/虎徹)の生涯を描いた『いっしん虎徹』など、歴史を疾駆した職人・工人たちを骨太に描く傍ら、幕末の京を舞台とした市井物「とびきり屋見立て帖」シリーズ、はたまた戦国の世の美しくも激しき美学を活写し、直木賞の栄冠に輝いた『利休にたずねよ』など、数多くの作品を上梓なさった。

 その一方で氏の興味は決して戦国・幕末のみに留まらず、『神変(じんべん)――役小角絵巻(えんのおづぬえまき)』や平安京遷都を巡る政争を描いた「平安楽土」など奈良・平安時代にも及び、その大胆かつ居住まい正しき作風は、多くの読者を魅了してやまなかった。

 残念ながら「平安楽土」は二〇一四年二月の氏の逝去によって未完となったが、同年秋、京都・同志社大学構内のハリス理化学館同志社ギャラリーで開催された「同志社と文学」展において、私は幸運にも山本氏の「平安楽土」の執筆ノートを拝見することができた。

 およそ病気に悩まされながら作成されたとは思えぬほど力強い筆で、作中の登場人物像や歴史上の事象を克明に記されたノートに、私は死の床にあってもなお作品にあらん限りの力を傾注せんとする氏の意欲を見、その場に慄然と立ちすくんだのであった。

 氏は二〇〇七年十一月十二日の京都新聞の「現代のことば」欄で、同年秋に京都国立博物館で開催された永徳展の感想を記され、一説には過労死とも言われる永徳について、「天才は、死もまた壮絶だとうなずいたしだいである」と締めくくっておられる。

 だが我々後進の作家からすれば、時代小説界を颯爽と駆け抜け、死の間際まで筆を執り続けておられた氏の生き様には、まさに永徳と同じ激しさ真摯さを見出さずにはいられない。

 永徳は絵筆で以って、森羅万象を描かんとした。ならばそんな彼の生涯と苦悩を真摯に描いた山本氏もまた、文字でもってこの世の全てを描き尽くそうとなさったのではあるまいか。

 花鳥の夢、それは狩野永徳が生涯をかけて追い求めた乾坤の精髄であるとともに、山本氏が追い続けた美の真髄なのである。

文春文庫
花鳥の夢
山本兼一

定価:836円(税込)発売日:2015年03月10日

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