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昭和の天才横綱・大鵬幸喜は、<br />誰よりも努力家だった

昭和の天才横綱・大鵬幸喜は、
誰よりも努力家だった

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

「巨人・大鵬・卵焼き」というフレーズを、当時の本人は好んでいなかった。アンチ巨人だったこともあったが、これが「子供の好きな三つ」だからだ。

 大鵬(本名・納谷幸喜 写真右)は、高度成長期の日本を象徴するヒーローであった。大きくて、強くて、美男子。持って生まれたもので勝っているかのように思われがちだった。

 昭和十五年(一九四〇年)、樺太生まれ。父はウクライナ出身で、ロシア革命で亡命してきたコサック騎兵隊の将校。終戦により、母とともに引き上げ、北海道内を転々とした。生活は困窮をきわめた。定時制高校に通い働いていた際、巡業に来ていた二所ノ関一行に見出され、入門。

 昭和三十四年に十両、三十五年一月に入幕、その年の十一月場所で初優勝し大関昇進というスピード出世ぶりは、まさに高度成長の日本の象徴だった。

 そのライバルが、柏戸(写真左)。「柏鵬時代」と称せられたが、大鵬の取り口が「型のない相撲」と批判されたのに対し、「型のある相撲」の柏戸には大人のファンがつく、とも言われた。大鵬は、通算成績では柏戸を上回りながら、生涯「柏戸さんの出足は脅威だった」「生まれ変わったら、柏戸さんのような相撲取りになりたい」と語っていたという。

 アンチ巨人といいながら、同年生まれの王貞治選手とは飲み友達だった。同じく人一倍の努力家だったことと、外国人の父をもちながら「日本のヒーロー」であり続けることのプレッシャーと戦っているという共通点があったから、といわれる。

 幕内優勝三十二回。昭和四十六年引退後も、一代年寄となり「大鵬部屋」を創設し後進を育てた。五十二年に脳梗塞で倒れ、以後後遺症と戦うなど、後半生も苦難続きだったが、その人柄は広く慕われた。平成二十五年(二〇一三年)年一月十九日、心室頻拍で死去、七十二歳だった。

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