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遠藤周作が易者になっていたら

遠藤周作が易者になっていたら

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 狐狸庵先生こと遠藤周作は、「街頭の易者になりたかった」という。

〈ピアニストになりたかったと口に出しかかったが、自分がピアノを弾いている恰好を想像しただけで背中にジンマシンがおきるほどテレくさい。易者は小説家とおなじように、人間相手の商売だ。夕ぐれの盛り場で暗い灯をともして善男善女の悩みを聞くこの人たちは私にいつも親愛感をよびおこす。銀座街頭で店をこうしてはっていたら、通りがかりの女が本気にして立ちどまった。永年の便秘で嫁にもゆけぬと切切とうったえていた〉(「週刊文春」昭和三十九年=一九六四年十一月二十三日号グラビア〈私はこれになりたかった〉より)

 もとよりホラの多かった先生のこと、この女性の悩みが便秘であるなどとは、にわかには信じがたい。

 遠藤周作は大正十二年(一九二三年)生まれ。「白い人」で芥川賞を受賞。第三の新人とよばれた。平成八年(一九九六年)没。

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