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昭和から平成へ――クロニクルとしての警察小説

昭和から平成へ――クロニクルとしての警察小説

文:杉江 松恋 (書評家)

『代官山コールドケース』 (佐々木譲 著)


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

『うたう警官』は、そうした作品の歴史に新たな一ページを付け加えた。佐伯が結成した少人数のチームが道警という巨大な組織に闘いを挑むという図式は冒険小説の定型を応用したものであり、そのことによって「個人対組織」という構造はより明確化された(これは余談になるが、同作から私が連想したのは、ニューヨーク市警の現職警官であるウィリアム・J・コーニッツが自身の見聞した権力闘争をモデルにして書いた一九八四年に発表した『燃える警官』だった。興味がある方はぜひご一読を。文春文庫)。こうした組織内のダイナミズムを描く作風は第三作の『警官の紋章』(二〇〇八年。角川春樹事務所→現・ハルキ文庫)までが特に顕著であったが、その後も作品で扱う領域を広げながらシリーズは継続されている。

 佐々木は一九七〇年代末から書き続けている息の長い作家であり、二〇〇〇年代に警察小説作家としての地位を確立する以前の作品は冒険小説と呼ばれるものが多かった。もちろん『うたう警官』で軌道修正が行われたわけではなく、冒険小説の原点にある独立不羈(ふき)の姿勢、個人が自身の信念のために存在を賭けて闘うという人間賛歌の精神は、警察小説の作品群の中にも形を変えて引き継がれている。

 二〇〇六年に発表された連作集『制服捜査』(新潮社→現・新潮文庫)の主人公・川久保篤は、道警内で不祥事が暴かれたために人事異動が活発化し、弾き飛ばされるような形で十勝平野の端にある僻村(へきそん)の駐在所に赴任することになる。それまでは道央で犯罪検挙に当たっていた男からすれば新しい勤務地は平和そのもののはずであった。だが、農村には農村ならではの事情による、別種の事件が待ち構えていたのである。『制服捜査』が描くのは、閉鎖的な土壌ならではの社会問題で、これに立場上捜査権を制限される主人公が立ち向かうという構造だ。横溝正史以来、日本のミステリー作家が繰り返し取り組んできた課題だが、別の見方をすることもできる。誰一人味方がいない鄙(ひな)の地に、自らの腕のみを頼りに捜査官が乗り込んでいく物語という図式は、ダシール・ハメットが私立探偵〈コンティネンタル・オプ〉を悪の支配する地方都市へと潜入させた「新任保安官」(一九二五年。『フェアウェルの殺人』他所収。創元推理文庫)の物語の変奏版なのだ。さらに遡(さかのぼ)れば、胸につけたバッジによって悪漢たちのコミュニティに割って入り、正義を遂行する西部小説の保安官たちの肖像が川久保の背後に重なって見える。『五稜郭残党伝』(一九九一年。集英社→現・集英社文庫)他の作品で幕末から明治にかけての北海道を描いた佐々木は、西部小説に描かれた開拓精神を日本小説に移植するという試みを行った作家であり、この連想は決して無茶なものではないはずだ。

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文春文庫
代官山コールドケース
佐々木譲

定価:803円(税込)発売日:2015年12月04日

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