もうひとつの問題は、加害者が年少の場合の処分であり量刑だ。いま少年法が定める年齢の日本人をほんとに「子供」として保護してやらなくちゃならないか、という疑問が、いまや少年犯罪が起こるたびに社会に沸き起こる。国民的常識に合わせて、二年前、少年法も改正され、少し実態に合ったものになったけれども。
それでも、少年による、とくに社会的あるいは生物学的にきわめて弱い者の殺害に対する、こんにちの司法が下す刑罰、これはほんとうに倫理的に、あるいは法哲学的に妥当なものなのだろうか。
『ユニット』を書き出すに至った根本的な動機は、この疑問なのだ。
この種の「犯罪」の重さと、じっさいに下される「刑罰」との、被害者感情を納得させてくれぬ乖離(かいり)については、早くから呉智英氏が、「身内には仇討ち権を認めよ」と、冗談を装ったかたちで主張されている。
これについてのわたしの、いま現在の思いはこういうものである。
たとえばここに、かつて妻と幼い子供とを少年に殺された男がいるとしよう。殺害犯は少年であるから、いわゆる極刑という判決はありえない。刑事裁判手続きが取られたとして、最高で無期懲役、ということは、改正以前の少年法では、最低七年でこの少年は刑務所を出てくるのだ。
男がこれを不満と感じるならば、そしてみずからもまた殺害犯として長い懲役に服する覚悟があるなら、彼は「仇討ち」に出てもいいではないか。
ただし、と、あわててつけ加えなければならない。その男が仇討ちに出ることについては、無責任な小説家として納得できるが、はたして彼はその仇討ち(復讐)を実行したとして、ほんとうに救われるだろうか。自分は無念を晴らしたと、彼は心の底からそれを喜ぶことができるだろうか。
『ユニット』は、この仮説と疑問とを検証するための、いわば思考実験とも言える小説である。コンテンポラリーなテーマを扱ったため、家庭内暴力、悪徳警察官、熟年離婚といった、わたしには珍しく風俗的なキーワードが散りばめられた作品となった。
さて、わたしの結論はどうか。
『ユニット』というタイトルにもこめたが、このタイトルと小説のラストが、いま小説家として出し得る唯一の答だ。
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