2009.08.20 書評

患者と医師の絆こそ

文: 久坂部 羊 (作家・医師)

『僕は人生を巻き戻す』 (テリー・マーフィー 著/仁木めぐみ 訳)

   もし、人生を巻き戻すことができれば。そう考える人は多いのではないか。しかし、勘ちがいしてはいけない。本書はそんな甘い発想の本ではない。主人公の青年エド・ザインは、家族を死から守るために、「時間を巻き戻す」のである。

 なぜそんな奇矯な考えにとりつかれたのか。理由は「強迫性障害」。

 この病気は、どこからともなく生じる不安のため、非論理的な行動を繰り返さざるを得なくなる精神障害である(かつては「強迫神経症」と呼ばれた)。一日に何度も手を洗う「不潔強迫」や、出がけに執拗に戸締まりを改める「確認強迫」などは、聞いたことがある人も多いだろう。

 我々は通常、何となく「大丈夫」という無意識の安心感のおかげで、ふつうに生活している。もし明日、交通事故に遭いそうな予感がしたり、脳梗塞で倒れそうな気がしたら、落ち着いてはいられないだろう。馬鹿げていると思いつつも、何かが気になって仕方がないという経験は、だれにでもあるのではないか。

 エドの場合は、最愛の母の死をきっかけに、時の流れる先には死があるという観念にとらわれ、すべての行為をビデオテープのように巻き戻す「儀式」をせざるを得なくなる。階段を上れば後ろ向きに下り、しゃべった言葉は回文のように逆から繰り返す。正確に再現できなければ、一からやりなおし。途中でトラックが通れば、次に同じ音をたててトラックが通るまで、片足を上げたまま何時間も動けない。

 結果、エドは地下室に引きこもり、シャワーも浴びず、着替えもせず、「時間を止めるため」に、自分の排泄物をジップロックの袋に詰める日々を送ることになる。

 そこへ登場するのが、ベトナム帰りの型破りな精神科医、マイケル・ジェナイクである。彼はすべてのことで患者を優先し、大学や保険会社の指示をものともせず、どんな困難な患者の治療も決してあきらめない医師だった。

 このスーパードクターが、懸命な治療で見事にエドの病気を治癒させたというのであれば、本書は凡百の医療美談の域を出ないだろう。マイケルは治療に全身全霊をかけるが、エドの強迫性障害はそれ以上に手強く、容易に改善しない。さまざまな苦労の末、何とかシャワーを浴びるところまでこぎつけるが、些細なことにつまずき、症状は初診のとき以上に悪化する。絶望したマイケルは、やつれたエドを見て号泣。彼は敗北を認め、最初の説明とは裏腹に、エドの治療をあきらめるのだ。

僕は人生を巻き戻す
テリー・マーフィー・著 , 仁木 めぐみ・訳

定価:1500円(税込) 発売日:2009年08月28日

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