「集団が作る価値観は、個の価値観とは少しずつ離れていく。それなのに、それが自分にとっての価値観だと錯覚すると疲れてしまうと思うんです」
そう語る鹿島田真希さんの新作は、社会の同調圧力に息苦しさを感じている人へのエールのような小説だ。
主人公の見崎沙代子は新人小説家だが、2作目の構想が上手く作れずに悩んでいる。そんなミササヨの周りには個性的な面々が集まる。大学のサークルでみんなの憧れだった才色兼備のツバサ先輩は、ボーイズラブ小説が好きで異常なほど自意識過小。脂ギッシュな不動産屋さんのクマちゃんと愛し合っている。さらに、家はゴミ屋敷でナルシスト、急に憂鬱になったり人前でパンツを脱いだりする少女漫画家の氷川だいあも登場し、彼らが織りなす日常に、読者は引き込まれていく。
「プライドとか恥ずかしいと思う気持ちが生きていくうえで邪魔になることがあると考えていて、そういうものを持っていないかのように生きている存在を書きたいと思いました。彼らはぶれない価値観を持っています。クマちゃんだってモテるタイプではないけれど、周りがどう言おうと、ツバサ先輩は自分の目で評価する。彼らは壊れていますが、うまく社会と距離を取りながら生存し続けるしたたかな人なのかもしれません」
しかし、そんなミササヨの心を乱すのが元彼の北川哲也だ。クリエイターになると宣言しライブ活動をするなど、ミューズに囲まれる表現者を自称する。北川がただのニートだといううさん臭さに気が付きながらも、ミササヨはなかなか彼から離れられずにいた。
「北川のような人は、本人が一番虚しいと思う。体がダメになっても中毒性のある食べ物を食べ続けてしまうような人や、誉められたいという一心で見栄っ張りになる人など、自分が疲れていることすら分からず、悪循環の中で自滅していくと思います」
ツバサ先輩やだいあとの交流を通じて、ミササヨの意識は変化していく。本作は彼女の成長譚でもある。
「ミササヨは自分の正論を言わずにいられなくなって爆発しますが、彼女が過激なのではなく、どんな人でも筋を通したいときには高揚すると思います。学校でも職場でも個人と社会の問題はあって、その中で自分の価値観を持ち続けたり、自分の意見を声に出すときには勇気が必要です。大勢の中の自分に疲れたときは、無理に集団に向かうのではなく、バイアスがなかったころの自分の世界観を大事にするということも、ときには潔いと思うのです」