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金田一春彦が出した恋文のお返しとは

金田一春彦が出した恋文のお返しとは

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

 アクセント研究の第一人者だった言語学者、金田一春彦は大正二年(一九一三年)、東京の本郷に生まれる。父、京助も高名な言語学者で東京帝国大学教授だった。浦和高等学校に入学した頃、阿佐ヶ谷の実家近くで後に童謡歌手となる女学生、安西愛子を見かけ、一目惚れして恋文を書く。しかし、恋文は愛子の眼に触れることはなかった。返ってきたのは、「交際を認めない」という愛子の父庫司からの手紙。ちなみに安西庫司は当時、杉並第七小学校の校長。失恋の痛手を受けた春彦は手紙を八つ裂きにして、燃やしてしまった。

 昭和九年(一九三四年)、東京帝国大学文学部国文科に入学。さらに大学院に進み、日本語のアクセントの研究に励む。昭和十三年、陸軍に応召して甲府の連隊に入営する日、町会の人々が出征を祝う式を開催。そこで春彦は安西愛子の顔をみつける。

〈私は召集令状を受け取ったとき、これから築こうとしていた人生を壊されることに激しい怒りを感じ、(中略)悲痛なデスペレートな気持ちになっていた。が、彼女の姿を一目見たとき、私はそれらの不快をすべて忘れてしまうような喜びをあじわった。あとで聞くと、安西さんの父君は、そのとき何も理由を告げずに、きょうの人の出征の見送りには是非参列するようにと愛子さんに言われたのだと言う。(中略)そのことを私は、庫司先生が亡くなられてから三年あとに、愛子さんから聞いてはじめて知った。私の恋文のお返しは充分していただいてある〉(「文藝春秋」昭和五十一年一月号巻頭随筆より)

 除隊後、疎開先の東京都西多摩郡で終戦を迎えた。戦後、監修に加わった中学国語教科書が驚異的な売り上げを記録し、昭和二十七年には、改訂版が全国の中学校の三分の一で採用された。また昭和三十二年に刊行された岩波新書「日本語」も長く読み継がれた。昭和三十八年、吉展ちゃん事件が発生。テレビで犯人による身代金要求電話の音声を聞いて、「この発音は茨城か栃木か福島のもの」と推理。犯人が福島県南部出身だったことから、一躍彼の評価が高まった。

 昭和四十一年、安西愛子と再会し、以後、交際が続いた。写真は平成元年(一九八九年)、自宅で撮影。平成十六年没。

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