2016.02.22 文春写真館

詩人・草野心平の「氷河期ルック」

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

詩人・草野心平の「氷河期ルック」

 暖冬から一転して最近は寒気が身にしみるが、昭和五十二年(一九七七年)の年初めは、厳しい寒波が日本列島を覆い、全国的に記録的な大雪に見舞われた。

 当時、週刊文春のグラビアでは、こんな企画があった。題して「氷河期ルック 我ら大寒波とかく闘えり」(昭和五十二年三月三日号)

 入江相政侍従長、北杜夫、いしだあゆみ、横井庄一、植草甚一等に混じって登場したのが、福島県出身の詩人の草野心平だった。

「この異常気象は地球がまだ若々しい青年だという証拠なんです。いま、地球と天がドラマを演じているんです。ドラマがあることが僕はおもしろいと思う。このドラマからいちばん影響をこうむってるのが人間です。鳥や猫は、夏も冬も綿入れを着ていて、暑さにも寒さにも耐えられる。人間は科学的に環境に適応しているが追いつかない。こんど氷河期がきたら人間はまいっちゃうでしょう」

 草野心平は明治三十六年(一九〇三年)、五人兄弟の次男に生まれる。旧制磐城中学を中退後、上京。慶應義塾普通部に編入するが半年ほどで退学する。中国に渡り、広東にある嶺南大学に留学する。早世した長兄民平が書き残した詩や短歌に触発され詩作を始める。同人誌「銅鑼」を主宰、手紙で宮沢賢治を同人に誘う。排日運動の影響を受け、大正十四年(一九二五年)帰国、高村光太郎の知遇を得て、その人柄に魅了される。

 昭和三年(一九二八年)に初めての詩集「第百階級」を上梓する。これより生涯にわたって蛙をテーマに詩作する。宮沢賢治没後、「宮沢賢治追悼」を編集、刊行。以後、賢治の評価、普及に尽力した。昭和十年、詩誌「歴程」を創刊する。

 昭和十五年、中華民国中央政府(南京政府)宣伝部顧問として中国に渡り、終戦の翌年まで滞在する。昭和二十三年、戦前に発表した詩集「蛙」をもとに、「定本 蛙」を刊行。これが評価され、昭和二十五年第一回読売文学賞を受賞する。戦後、長らく貧困にあえぎながらも、「歴程」祭を主催するなど、さまざまな文化人と交流を深めることに熱心だった。昭和三十一年、高村光太郎没後、全集の編纂委員になる。昭和四十一年、棟方志功版画による詩画集「富士山」、詩集「マンモスの牙」刊行。

「日本で詩をもっと社会的に浸透させるためには、ほかの芸術のジャンル、絵かきとか、音楽家とか、小説家とか評論家、そういう連中との横のつながりを持つということも必要だ、それを離れても芸術家どうしがほかのジャンルとつき合うということはお互いに栄養になるだろう、というような考えからだったんだ」(日本図書センター刊『作家の自伝 草野心平』より)

 昭和六十二年、文化勲章受章。翌年、急性心不全で亡くなる。

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