2011.11.21 書評

シリーズ20年目の美しき大団円

文: 温水 ゆかり (エッセイスト)

『これでおしまい――我が老後』 (佐藤愛子 著)

 題名は本の顔だ。表玄関だ。それなのに、最後のご挨拶と言わんばかりの看板とは。

「怒るのも飽きた」「怒り甲斐がなくなった」と見限られても、現代の諸相に一端の責任がある世代としてはうつむくしかない。ああ、ふがいない。そう、この世は(我が身のことはさておき)ふがいないことだらけ。そのふがいなさに憤怒の仁王立ちをしていたユーモア・エッセイが店仕舞いとは。無念の一言である。

 オール讀物で「我が老後」と題するエッセイがスタートしたのは1990年、著者67歳になろうという頃だった。それはまず『我が老後』としてまとめられ、以後シリーズに。巻数を示す副題をはしょって書名を刊行順に書けば、『なんでこうなるの』『だからこうなるの』『そして、こうなった』『それからどうなる』『まだ生きている』と、さながら〈佐藤愛子/心境ドキュメンタリー劇場〉。そしてこのトドメ、『これでおしまい――我が老後』である。

 この題名にした心持ちは本書の冒頭にこうある。本当は連載十年、2000年を区切りに終わらせるつもりだった(単行本は01年刊)。が、(勤勉ゆえに)その後もうっかり2冊も出してしまい、この段階で「断乎」「やめた」(第六巻の単行本は06年刊)。しかし、連載やめても老後は終わらず。85歳(本書の連載開始時)で、いよいよ「ケリをつけたくなっ」た、と。

 2000年といえば、まさに佐藤一族の壮大な家族系統樹ロマン『血脈』の連載が完結した年。『血脈』と「我が老後」シリーズは、ほぼ軌を一にして書き継がれてきた。一族の魂鎮めを機に、父佐藤紅緑や兄サトウハチローなど、異母兄弟や実姉らに憑依してきたイタコ戦士の骨休めとしたかったのかもしれない。が、『血脈』の菊池寛賞の受賞などもあって、そうはいかなかった。浮き世の義理の遂行か、今世の修行と覚悟されたかは、存じ上げねども。

 しかし、そのおかげで我々読者は今世紀に入ってもまた10年、爽快で痛快な思いをしてきたのである。クソッタレなこの“勝手に失われてろ!20年”の間に、国力以上に大事なものに洞が空いた。マニュアル言語栄えて人心摩滅し、女は肉食系に男は草食系に、いずれの類にしろ便利と快適を至上命題に徳を忘れて得に走り、欲と二人三脚のゾンビの群れとなり果てと、日本人の劣化はとどまるところをしらない(以上、シリーズに通底する著者の悲憤慷慨を要約したツモリ)。このゆゆしき事態を、女野武士の眼光と斬れのいいユーモアで撃つのが、このシリーズの真髄だった。私はとりわけ「正確」を宗とする著者の文章術に頭を垂れ、ユーモアとは騒々しい声と大仰なデフォルメではなく、簡素な言葉と精確に急所を突く接近戦から生まれるものだと教わってきたけれど。

これでおしまい――我が老後
佐藤愛子・著

定価:1365円(税込) 発売日:2011年11月11日

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