2015.03.30 文春写真館

何度転んでも立ち上がった食の発明家・安藤百福

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

何度転んでも立ち上がった食の発明家・安藤百福

 チキンラーメンとカップヌードルの生みの親、安藤百福は、明治四十三年(一九一〇年)、台湾生まれ。幼い頃に両親と死別。祖父母に引き取られる。高等小学校を卒業し、祖父が経営する繊維業を手伝う。昭和七年(一九三二年)、父の遺産を元手に東洋莫大小(とうようメリヤス)を設立。以後、幻灯機製造、炭焼き、バラック住宅製造などさまざま事業をてがけるが、戦争による空襲で、大阪の事務所や工場などすべてを失ってしまう。

 闇市で、ラーメンの屋台が繁盛するのを目の当たりにして、食をビジネスとしようという決意がめばえた。製塩業や魚介類の加工販売などをてがけるが、脱税容疑で身柄を拘束される憂き目にあう。やがて起業家として名をなした安藤は、懇願されてある信用組合の理事長に就任するが、昭和三十二年、ずさんな経営がたたって信用組合が倒産。財産を没収され、大阪府池田市の自宅に引きこもっていた。

 しかし、ここで心機一転、ラーメン開発に乗り出す。自宅の庭に研究小屋を建て、毎日朝五時起床。深夜まで研究を続けた。昭和三十三年、チキンラーメンを販売。社名を日清食品とした。丼にいれてお湯を注ぐだけでおいしく食べられる「魔法のラーメン」は、絶大な人気を得た。これを模倣した粗悪品が多数出回ったため、チキンラーメンの商標や特許を申請、登録。さらに昭和三十九年には、日本ラーメン工業協会を設立した。

 昭和四十一年、海外進出をめざす。アメリカでバイヤーがチキンラーメンを割り、コップにいれて食べるのをみて、カップ麺の着想を得る。昭和四十六年、カップヌードル発売。当初は売れなくて苦戦したが、あさま山荘事件で現場の機動隊員が食べる姿がテレビで全国中継されたことがきっかけとなり、飛躍的に売り上げが伸びた。海外でもアメリカを皮切りに、世界八十カ国で市場を獲得。世界的なブランドとなった。

 平成七年(一九九五年)の阪神淡路大震災に際しては、自らの少年時代を顧み、私費を投じて被災地の高校生に奨学金を贈る。

「私は、大震災で大きな打撃を受けた青少年に期待している。私がそうであったように、彼らは必ずや、逆境、苦境の中からはい上がり、苦闘するうちに、価値あるものをつかみ取り、腹の座った人材に成長するに違いない」(『食は時代とともに 安藤百福フィールドノート』より)

 生涯現役を通し、平成十九年(二〇〇七年)没。写真は、池田市のインスタントラーメン発明記念館内にある、当時を復原した研究小屋に立つ安藤百福。平成十一年撮影。

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