宮烏と庶民階級の八咫烏との意識の違い、がよく分かるのが、小梅の父が金欲しさに同胞である八咫烏を裏切っていたことが明らかになるくだりだ。結局、動機は金だったのか、馬鹿なやつだ、と吐き捨てる長束。「一時大金なんぞを手にしても、結局は己のためにならないと、分かっているだろうに」
そんな長束に、若宮の后である浜木綿は言う。「そりゃあ、一度も生活に困った経験のないあんたには分からないだろうさ。一度、その日の飯にも困る生活をしてごらん」と。大金なんぞとは二度と言えなくなるよ、と。それは、かつて、宮烏の身分を剥奪され、山烏として貧しい暮らしを経験したことがある浜木綿だからこその言葉だ。貧しさが、いかに心を蝕むか、浜木綿は自身の経験から分かっているのだ。
この浜木綿が実にいい味を出していて、若宮の隣にこの浜木綿を配置したのは、絶妙だ(若宮と浜木綿は、茅田砂胡さんの『スカーレット・ウィザード』のダブル主人公、海賊と女王の関係を彷彿とさせる!)。権力争いの絶えない宮中での、若宮の強い味方、それが浜木綿なのだ。
シリーズ全体が広がっていくと同時に、若宮の金烏たる所以も、少しずつ明かされていく。金烏とは、宗家の正当性を主張する方便だと思っていた雪哉だったが、その所以を、若宮の孤高さを知ることで、自ら若宮付きの近衛隊である山内衆への入隊を決意するまでが、本書のもう一つの流れとしてあり、そこも読みどころの一つ。雪哉の山内衆への道は、シリーズ四作目である『空棺の烏』でぜひ。
それにしても、一作目の『烏に単は似合わない』から、ここまで壮大な物語になるとは。作者の阿部さんは、デビュー前から八咫烏と大猿の戦いを書きたいと思っていた、とかつてインタビューで語っているが、本書でいよいよその戦いの火蓋が切られたのだ。本書でも、未だその全貌が明らかになっていない大猿――そもそも彼らの“世界”がどうなっているのか。何故彼らも人形になれるのか、等々――が、今後どんなふうに山内に向かってくるのか。そして、若宮たちはどう立ち向かうのか。シリーズへの期待はますます高まる。
前二作で登場したメインのキャラはもちろんだが、本書で初めて登場した“地下街”の面々、なかでもその“地下街”を統べる、朔王と呼ばれる老爺と、ナンバー2である鵄は、今後の大猿との戦いでも活躍しそうだし、もしかすると、小梅も今後何かの役割を担っていくかもしれない。そう、本書は壮大なファンタジーであると同時に、実に緻密なキャラクター小説でもあるのだ。そこがいい。
果たして、山内の、そして若宮の行く末や、如何に。シリーズ最新作の刊行を、わくわくしながら待ちたい。