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『アリス』で開眼!? 知りたい気持ちが喜びに繋がる物語の力

『アリス』で開眼!? 知りたい気持ちが喜びに繋がる物語の力

文:藤田 香織 (書評家)

『螺旋階段のアリス』 (加納朋子 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 物語の語り手となるのは、探偵事務所を開いたばかりの仁木順平、五十歳。東京は丸の内に本社を構える大手企業に勤めていた仁木は、新設された「転身退職者支援制度」を利用して、念願だった私立探偵となったのでした。会社を辞めて新たな事業を始める者を応援する、という趣旨の制度ゆえ、一年間は出社せずとも基本給もそのままに、手厚い福利厚生も使える。退職金に一年分の給料を上乗せしただけの体のいいリストラだとか、少々見栄えのいい早期退職者募集じゃないか、という声も多かったものの、仁木は願ってもいなかった大きなチャンスとばかりに、新たな世界へ飛び込んだのです。

 とはいえ、現実はそうそう甘くはありません。いざ開業してみたものの、依頼が舞い込む気配はなし。御用聞きに回るわけにもいかず、さてどうしたものかと思いつつ、春の陽気に誘われて、うとうとまどろんでいたところに現れたのが十七、八歳ほどに見えた美少女。栗色の長い髪に、桜色のワンピースを着て、腕には長毛種の白猫を抱えた少女は市村安梨沙と名乗り、仁木の職業を聞くと探偵助手になることを志願しました。

 かくして誕生した、駆け出しの私立探偵・仁木と押し掛け助手の安梨沙のコンビが、数少ない依頼に基づく謎や事件に挑んでいくわけですが、収められている七つの物語で描かれるのは、仁木が憧れた明智小五郎やホームズが解決してきたような大事件とはいかず、日常と地続きのものばかり。曰く、亡き夫が隠したという貸金庫の鍵を探して欲しい。自分が浮気をしていないことを調査し証明して欲しい。行方不明のコリー犬を見つけて欲しい。無人の地下倉庫にある電話を鳴らし続ける者の思惑を調べて欲しい――。

 ハードボイルドとは程遠い、甘いお菓子と美味しいお茶が呈され、アットホームでくつろいだ雰囲気の事務所に、ふわふわのワンピースがよく似合う助手。当初は、こんなはずじゃなかったと、戸惑いを隠しきれなかった仁木が、娘以上に年の離れた愛らしくも聡明で機転のきく安梨沙に魅了されていく過程は微笑ましく、効果的に使われる「アリス」のモチーフに、興味を惹かれる場面も多々あります。けれど、そうした心地良く、柔らかな手触りと平行して、一見、単純で些細な謎の奥底に、かかわった人々の深い思いが秘められていることに、何度も胸を突かれてしまう。調査を続けるなかで、こうではないか、と推測した答えの更なる先にある真実に辿り着くうち、仁木の探偵らしさも増していくように感じられます。

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文春文庫
螺旋階段のアリス
加納朋子

定価:671円(税込)発売日:2016年09月02日

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