2015.02.15 書評

磨きぬかれた落語の語りのごとし
丸谷さん一流の藝の力を堪能できる対談・エッセイ

文: 半藤 一利 (作家・歴史家)

『膝を打つ 丸谷才一エッセイ傑作選2』 (丸谷才一 著)

 のっけから妙なことを書く。わたくしは丸谷さんが喜寿を迎えたとき、ごく簡単な祝宴で挨拶をさせられた。このとき丸谷さんを見習ってあらかじめ話すことを原稿用紙に書いて、それを読むような読まざるような形でお祝いの言葉を述べた。それが手もとに残っているので、あらためてここに書き写すことにする。つまりわたくしの丸谷才一論である。

《いまを去ること七年前、古稀になられた丸谷さんから我々は大料亭に招かれ大そう御馳走になりました。こんど丸谷さんの喜寿をお祝いしてそのお返しをさせて戴こうという趣旨でありますが、そも喜寿とは何のことでありましょうか。

 古稀はわかるんです。杜甫の詩に由来をもちます。「朝(ちょう)より回(かえ)りて日々春衣を典じ/毎日江頭酔を尽くして帰る/酒債尋常行く処あり/人生七十古来稀なり」これであります。何でもかんでも質に入れ、大いに酔っぱらって、あっちを向いてもこっちを向いても酒代の借金ばかり。これが尋常の日常になってしまった。しかし、わしも七十まで生きることはできんのじゃ、わしが余生の楽しみを許し給え。

 たいして喜寿は喜の草書は七十七と読むことができる。そこからきた賀の祝い、ということぐらいは私にもわかる。が、それ以上のことはわからない。そこで『大言海』を引いてみると、その長寿ならんことを祝って、もともとあった四十、五十、六十、七十、八十、九十、百の賀に加えて、「足利時代の末より、六十一歳(本卦回・還暦)、七十七(喜寿)、八十八(米寿)なども起これり」とあるだけでありました。やっぱりわかっていなかった。

 ま、古稀にくらぶれば目出たさも中くらいなり、というところでありまして、お返しの会が大料亭にくらべれば大分落ちますが、そんなわけでありまして、丸谷先生、どうぞお許し下さい。

 さて、こんなどうでもいいことを喋って終りにしようかとも思ったのでありますが、そうもまいりません。それで昨夜、もう一度泉鏡花賞にかがやく『輝く日の宮』を読み直そうかと思ったのですが、老来すぐに瞼が落っこちてしまうので、とても無理と考えて、そこで久し振りに、まあ短い『横しぐれ』を読むことにしました。いやあ、傑作ですね。父と国文学の恩師と、種田山頭火との、伊予・道後の一日の関係を探索する。丸谷さんならではの文学の面白さ、かなしさがあざやかに表現されている。山頭火の奇矯な人物像を炙(あぶ)り出すために、幾重も罠のように仕掛けられた小説的趣向は、まるで推理小説を読むようでありました。

 と、同時に、横しぐれの一語を起点に、時雨にふれる短歌や俳句の日本的感受性の世界の奥へと尋ね入っていくのです。そして「しぐれ」という言葉には、「死暮れ」という意味がこめられているのではないか、という言葉遊びをやるあたりから、急速に死の世界があらわれて、死に憧れたこの放浪の俳人のイメージが定着していく。その藝たるや、見事なものですねえ。

 まさしく知的な遊びの面白さなんですが、その面白さは謎解きのスリルなんかじゃないのです。むしろ美的な論理の構築の面白さというもののようでした。どうでしょうか、皆さん。これはまた『輝く日の宮』の面白さに通じていませんか。私の勝手読みかもしれませんが、昨夜は『輝く日の宮』へと大きく華ひらいた『横しぐれ』の面白さの発見に、しばし興奮して眠れなかったといったら嘘のように聞こえるでしょうか。

 それにしても丸谷さんの、男性自身的にはどうか知りませんが、文学的な若さにはほんとうに驚かされます。心からの讃辞を呈するために、私は丸谷さんがかつて書かれたある一文を、ここに皆さんにご紹介してみたい。それは「慶応三年から大正五年まで」という短い、夏目漱石について書かれた文学エッセイなんですが、そのいちばん最後の結びの部分です。

「彼は、偉大な知識人でありながらしかも優れた小説家であつて、つまり一文明の知的指導者であつた。かういふ位置を、彼ほど長い期間(おそらく今日まで)保ちつづけてゐる文学者はほかには見られないのである。ここには、小説家の社会的機能としての、いはば理想的な形がある」

 どうでしょうか。この「彼」を丸谷と置き換えてみれば、そのまま丸谷才一論の結びになるのではないでしょうか》

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膝を打つ 丸谷才一エッセイ傑作選2
丸谷才一・著

定価:本体900円+税 発売日:2015年02月06日

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