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現代人は、森田療法の知恵になにを学ぶべきか

現代人は、森田療法の知恵になにを学ぶべきか

文:最相 葉月

『神経症の時代 わが内なる森田正馬』 (渡辺利夫 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

 今でこそ、腰痛には心因性のものがあることが広く知られるようになったが、当時の私には目から何枚ものうろこがこぼれ落ちるような驚きだった。そして、医師が夏樹に施した森田療法に俄然、興味がわいた。森田療法ってなんだ。森田正馬とは何者なのか。そこで遅ればせながら手に取ったのが本書、渡辺利夫の『神経症の時代 わが内なる森田正馬』だった。著者はアジア経済を専門とする経済学者である。なぜ経済学者が神経症を書くのだろう。単行本には七ページほどのプロローグがあった。まずは著者の動機を知ろうとこれを読み始めたところ、次の一節で腑に落ちた。森田の第一高弟であり、森田療法の継承者である高良武久の言葉を紹介しつつ著者はこう書いていた。

 高良武久はみずから高良興生院を創設し、幾多の神経症者の救済に顕著な実績を上げてきた。救済の方法は、理の当然として不安、恐怖を生の必然的心理として症者に素直に受容させることにあるが、この受容を効果的になさしめる最良の方法は「仕事」にほかならないという。私の心を打ったのは、なんとも簡明なこの主張である。〈中略〉

 いかに「質」のいい余暇や趣味を手にしたからといって、これが人間の生の欲望を満たしうるほどの根源的な力をもつとは、私にはとうてい考えられない。物的な富などそれがどんなに強大にみえようとも、自国より仕事に強い熱意をもつ他国があらわれてくれば、それこそあっけないほどに掌中からこぼれ落ちてしまうものであることは、「大国の興亡」史の教えるとおりである。

 仕事は生に根ざした活動であり、仕事への手応えが人間を前進させる。仕事は心を押しつぶそうとするが、心を支え、救うのも仕事である──。私もまた、このなんとも簡明な主張に打たれた。私自身、余暇より仕事に快楽を覚え、仕事に何度も救われてきた。ただ、この完璧主義的な生き方は金属疲労を引き起こす。理想が高ければ高いほど、現実への不満と不安が襲いかかる。腰痛はその現れだったのか。「かくあるべき」と「かくある」との不適応こそが神経症発症の原初的なからくりであるという森田の平易な教えは、なんの抵抗もなく私のなかに浸透していった。倉田百三の無間地獄も、岩井寛の凄絶な闘病生活も、生への渇望と抑えきれないほどの向上心ゆえと知り、腹の底から奮い立つものを感じた。奥付を見れば九刷とある。もっと早く読んでおくべきだったと思いながら最後のページを閉じたとき、読書に集中している間、まったく腰の痛みを感じなかったことに気がついた。

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神経症の時代 わが内なる森田正馬
渡辺利夫・著

定価:本体1,140円+税 発売日:2016年10月07日

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