本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
現代人は、森田療法の知恵になにを学ぶべきか

現代人は、森田療法の知恵になにを学ぶべきか

文:最相 葉月

『神経症の時代 わが内なる森田正馬』 (渡辺利夫 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

 今世紀に入ってからのインターネットの発達は、コミュニケーションの形態を一変させた。臨床現場では、人目を常に意識し、傷つきやすく、キレやすく、自我の脆弱な人々が目に付くようになった。二〇〇七年、病に倒れる直前の河合隼雄は、森田療法が扱っていたような対人恐怖や赤面恐怖のうったえは最近ほとんどなくなり、そもそも人前に出られない、人と向き合えない引きこもりが増えたと指摘している。阪神淡路大震災を機に知られるようになったPTSD(心的外傷後ストレス障害)や、オウム真理教が突き付けた洗脳の恐怖、アダルトチルドレン、発達障害など、心の問題は複雑多様化し、心のケアの制度化が急務となった。うつ病患者が百万人を超える日が来るとは、だれが想像しただろうか。

 本書に立ち戻れば、著者が高良武久の書物を読み、「仕事」への捉え方に目を開かれ、森田療法の再評価をうったえたのは、まさにこの「神経症の時代」の再来を予見していたからではないか。本書は、歴史に埋もれた人物の評伝の体裁をとりながら、一つの時代の終わりと新たな時代の始まりを告げる、炭鉱のカナリアであったのだ。

 

 初版刊行から二十年が過ぎた。森田正馬なら、絶対臥褥を地でいくような現代の引きこもりにどのように向き合っただろう。苦しみを言語化できずにリストカットを繰り返す少女に何を伝えただろう。本書が開高健賞を受賞したとき、選考委員の谷沢永一は、「現代日本が抱えつつある老齢化社会の実態は、精神の沈湎へ向う落ち込みの大量発生という現象である。この時代病を憂えて差し出された作者入魂の作品が、多くの読者に心の張りを生み出す結果となるよう期待する」と述べた。いまや、四人に一人が六十五歳以上となった超高齢化社会だ。少子化にもかかわらず、生活保護費以下で暮らす子育て世帯はこの二十年で倍増し、子どもの貧困が報じられない日はない。若者の自殺が増え、自殺率は先進国の中ではトップである。

 現代人は、右肩上がりの時代には想像もしなかった不安に直面している。あるがままを生きよという森田の言葉を素直に受け入れられない人は多いだろう。「努力即幸福」「幸福即努力」という幸福観は、現実に押しつぶされそうになっている人々には残酷に響くかもしれない。現代に即応した外来森田療法やネットを使った遠隔治療が開発されてはいるが、すべての人に効くなど、土台無理な話なのだ。

 だが一方で、自分の心について考え始めたとき、森田療法の知恵に励まされ、心を強くする人もいるだろう。苦痛は取り除くものではなく生来あるもの、というコペルニクス的発想を瞬時に理解し、わがものとする人もいるだろう。本書がそのような人々の手に届き、希望を見出す光となることを願ってやまない。

神経症の時代 わが内なる森田正馬
渡辺利夫・著

定価:本体1,140円+税 発売日:2016年10月07日

詳しい内容はこちら

プレゼント
  • 『もう明日が待っている』鈴木おさむ・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2024/3/29~2024/4/5
    賞品 『もう明日が待っている』鈴木おさむ・著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

ページの先頭へ戻る