2014.02.06 書評

『愛ある追跡』解説

文: 井家上 隆幸 (文芸評論家)

『愛ある追跡』 (藤田宜永 著)

 五年前、スティーグ・ラーソン『ミレニアム』の大ヒットにはじまったスェーデンやノルウエイ、デンマークなど北欧のミステリーが面白いのは、刑事や探偵が、法のモラルを越えた現実と向き合い、その不確かさをなんとかしようと四苦八苦するところにあると思う。昔、法は市民社会の正義と悪を分かつものであり、警官はその境界線の内にいて、外から侵入してくるものを阻止する役割をになっていた。だが今は、その境界線は不分明なものとなり、警官は境界線の出入り自在となった。わたしは、チャップリンが一九二三年に作った映画『偽牧師』のラストシーン、チャーリーが、アメリカへも戻れずメキシコへも行けず、国境線をまたいで走り去っていくその姿にかぶせて弁士・徳川夢声が「彼はついに“アメシコ”に行ったのであります」という名解説をつけたというエピソードを思いうかべる。そう、現代の警官たちは、社会の秩序の境界線をまたいで、彼らの“アメシコ”に行っているのだ。『ミレニアム』の警官たちは、スェーデン憲法を維持し、現実のものとすることをめざして、巨悪に対した。

 またたとえばケーブル・テレビで放映中の『LAW&ORDER Special Victims Unit(性犯罪特捜班)』でも、未成年者の性的虐待や売春・麻薬事犯の取締りにあたる刑事たちは、不断に法の境界線を越えざるをえないような現実に直面している。わたしは、事は日本でも同じだと思うのだけれども、日本の警察小説はまだそこまでシリアスになっていないように見える。いままでの捜査の手法ではおよびもつかぬ現実が到来していることは、日々の犯罪報道で明らかであるのに、である。警察組織がそうだからといわれればごめんなさいだが、それにしても、である。

 たとえば、いまでは「フリン」とカタカナで書かれるように、いまでは何の不思議もない社会風俗現象のようにすらみえる「不倫」は、昭和二十年八月の敗戦以前は「有夫ノ婦姦通シタルトキハ二年以下ノ懲役ニ処ス其相姦シタル者亦同シ」と刑法一八三条が定めた犯罪行為だった。江戸時代、八代将軍吉宗の「御定書百個条」によって「姦通罪」という犯罪となり、「密通致し候妻、死罪。密通の男、死罪」と、戦国時代「不義はお家のご法度」とした倫理を社会のそれとした。刑法一八三条はこれを継いだのだ。 だから、わたしのような“教育勅語”的倫理の痕跡をぬぐいきれぬ者にとっては、「不倫」から「フリン」への表記の変わりようは、社会の「倫理」の変化の現れであり、法の引いた境界線の現実との乖離をしめすものであった。

 わたしは、日本の警察小説が北欧ミステリーに差をつけられているのは、たとえばキャリアとノンキャリとか、公安と刑事とか、日本の警察機構の遅れた部分を小説の中心にすえて、法というもの、法がつくりだしている秩序やモラルといったものに視線がおよばないからではあるまいかと思う。

 というところで藤田宜永、である。

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愛ある追跡
藤田宜永・著

定価:620円+税 発売日:2014年01月04日

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