私はB級事件が大好きである。事件にB級があるからには、もちろん、A級もあるし、C級もある。
A級は誰でも知っている重大犯罪。すぐに思いつくものに、宮崎勤事件やオウム真理教事件などが挙げられる。B級とは、A級ほど重大ではないが、相当数の人間は知っている事件で、発生当時はテレビのワイドショーや週刊誌でスキャンダラスに取り上げられる。
私が考える代表的なB級事件とは、東電OL事件や福田和子の事件。最近なら角田美代子による尼崎の監禁殺人事件などもその中に入るだろう。私の作品を例にとれば、『追悼者』は東電OL事件、『逃亡者』は、時効間際に捕まった福田和子をモデルにしていると、たいていの読者にはピンとくる。
そう思ってくれれば、作家としてはしめたもので、私はそこに「罠」を張る。例えば、「福田和子なら、この次はこういう行動をとるだろう。ああいう展開になるだろう」という読者の勝手な思いこみを逆手にとって、かなり違った展開にしてしまうのである。
ただ問題は、現実の事件の直後にやると、記憶が生々しすぎるので、ある程度の時間をおいて(熟成させておいて)、少し落ち着いた時に書き始める。逆に時間がたちすぎると、人々の記憶から抜け落ちてしまうので、小説を作る側としては書き始めの判断に迷うことが多い。
私が書いている「――者」というタイトルの作品は、B級事件ネタを扱ったシリーズで、その最初の作品『冤罪者』は小野悦男の事件にヒントを得た。千葉県松戸市で起こったOL殺人事件の容疑者として逮捕された小野は、無期懲役の刑を受けた後に控訴し、無実を勝ち取るが、釈放された後、また事件を起こす。新聞やテレビなどの報道で、罪を犯した者を「呼び捨て」から「○○容疑者」とするようになったのは、この小野悦男の事件からである。他に神戸の有名な少年犯罪事件からヒントを得た『失踪者』、広島の一家失踪事件に着想を得た『行方不明者』などがあり、小説中に元ネタを探すのも一興かもしれない。
作者も驚く結末
さて、ここで、今回の新作『潜伏者』に話を進めよう。当初、モデルにしたのは、冤罪事件で有名な「足利事件」だった。1990年5月、栃木県足利市のパチンコ店の駐車場から4歳の女の子が行方不明になり、翌日、渡良瀬川の河原で死体となって発見されるという事件が起きた。逮捕されたのは幼稚園のバスの運転手、菅家利和さん。裁判の結果、菅家さんは無期懲役が確定したが、2009年、遺留物のDNAが服役者と一致しないことが判明し、無罪放免になった。
私はこの事件に着目し、無実を訴えつづけた菅家さんが釈放されるずっと前から、プロットを練っていた。ところが、菅家さんが釈放されて、ネタを捨てざるをえなくなった。書いたら、やはり菅家さんを想起させるし、彼に迷惑がかかってしまう。主人公が娑婆にいると書きにくいのである。
不完全燃焼の思いで、最初からプロットを練りなおすことになったが、足利事件のあった同じ頃、周辺地域で未解決の連続少女殺人事件が何件かあったりして、捨てるには惜しい魅力的なテーマだった。
そこで、私は舞台を埼玉県北東部の久喜市に設定。パチンコ屋で父親がゲームに興じている時、娘が消えてしまうという発端を足利事件のようにした。少女失踪事件にからんで逮捕された男が刑期を終えて出所するところも「本家」にちょっとだけ似ていて、それから先はまったく別のストーリーが展開する。失踪する少女は3人。生きているのか死んでいるのかも定かではない。逮捕されたのは、堀田守男という職業不詳の男で、逮捕された容疑は児童ポルノ法違反。この事件を題材にした小説を書く作家、事件を追うノンフィクション作家、失踪した少女の家族、関係者。いくつもの視点でストーリーは進行していく。
堀田守男が8年の刑期を終えて久喜にもどってきた時、また新たな事件が起こりだし、関係者は否応なく大きな渦の中に巻きこまれていく。もちろん、事件は一筋縄ではいかず、現実の足利事件とは大きくかけ離れた展開を見せる。真犯人は誰なのか、事件の背後に何が隠されているのか。
私自身、迷いながら書いたせいか、作中人物と同じように事件に巻きこまれ、翻弄されていった。そして、「こんな結末になってしまったか」と、作者本人も驚く結末になっている。『潜伏者』は謎解きのほかに、作者の混乱ぶりも読みどころかもしれない。
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