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ハイジニーナの貴族たち

ハイジニーナの貴族たち

文:柏木 いづみ (作家)

『ヒカル いろがさね裏源氏』 (柏木いづみ 著)

出典 : #本の話
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 災厄の直後、しゅんとしぼんでしまったような新宿の街――そこで酒場を営む友人のMちゃんが、その晩たったひとりのお客だった私に教えてくれたのが、「ハイジニーナ」という言葉です。

 ハイジニーナ――もっと俗っぽい日本語を用いればパイパンです。ハイジーン(hygiene)は「清潔」を意味する英語なので、ハイジニーナは「清潔人」といったところ。欧米では衛生のために陰部の毛を除去することが、男性も女性もいまや常識になっている。近年わが国でも、とくに女性たちのあいだでレーザーやブラジリアンワックスを用いた除毛が流行しつつある、とMちゃんは語ってくれました。当の彼女も、しばらく前にエステでその部分の処理を済ませたのだそうです。

「スキッと身が軽くなったみたいで気持いいわよ。それに……」

 他にお客がいないので私より速いピッチでホットウィスキーを飲んでいた彼女のまなじりは、酔いでとろんと潤みはじめています。

「……あのときが、最高。肌と肌が直接触れ合って、相手の体温がじかに伝わってくるの」

「ということは、彼も?」

「ふふ……」

 酔った勢いで私はMちゃんが利用しているエステの電話番号を聞き、翌日、さっそくハイジニーナの仲間入りを果たしました。たしかにいい、いろいろな局面で。そこで私は、現代の光君たちをハイジニーナにすることを思い立ちました。

 源氏物語には随所に香りの描写が出てきます。唐の国から渡来した贅沢な香木をくゆらせて直衣(のうし)や十二単(じゅうにひとえ)に焚き込めることは、庶民にはとうてい叶わぬ贅沢だったことでしょう。かぐわしい香りに包まれながら交わす情愛の世界こそ、絵には描けなくとも王朝絵巻のもっともきらびやかな彩りです。

 悩ましいほどの香りを身にまとい、媾合(まぐわい)を日課にしていた平安貴族たち。一方、現代日本で貪欲に性の悦楽に身を浸すセレブリティならではのファッションとは……?

 それは外国製高級車やアメリカン・エキスプレスのブラックカードといった陳腐なものではありません。物語に登場する男女たちにとって、選ばれた身のあかしはハイジニーナであることです。太古の貴族たちが薫香で体臭を匿(かく)したように、現代の光君たちは体毛などという野性とはとうに訣別しています。

 趣味のいい着衣を脱ぎ捨てたとき、彼らはすべすべで柔らかな局部をさらし、欲望の深奥を露(あら)わにします。そして……。オペラのようにたっぷりと時間をかけ、性愛の宴に身をひたすのです。

ヒカル いろがさね裏源氏
柏木いづみ・著

定価:700円(税込) 発売日:2012年02月10日

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