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真田幸村物の「定本」決定版。歴史の信繁、文学の幸村(前編)

真田幸村物の「定本」決定版。歴史の信繁、文学の幸村(前編)

文:高橋 圭一 (大阪大谷大学教授・江戸文学研究)

『真田幸村』 (小林計一郎 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

 本書「“英雄”真田幸村」の章に「真田三代記」の節がある。「真田幸村の活躍ぶりを大いに書き立てて世に広めた書物に『真田三代記』がある。成立年代はあきらかでないが、おそらく江戸時代の中期であろう。真田幸隆・昌幸・幸村の三代の事蹟を述べており、二百九十三節からできているが、幸村の大坂の役における活躍が中心になっている。……」とある。この『真田三代記』は実録である。『真田三代記』には、真田幸村・豊臣秀頼・片桐且元たちが次々と実名で登場する。家康・秀忠も。現代では当たり前であるが、江戸時代には甚だ危険なことであった。浮世草子や読本ならば、大通りに面した新刊本屋の店頭に平積みされただろうが、実録はそこになかった。幕府の禁令を堂々と犯していたからである。

 享保七年(一七二二)の幕府の出版条例全五条の内、第三条と第五条を引く。(現代語訳の代りに語釈を挿入する)

一、人々家筋先祖の事などを、かれこれ相違の義ども新作の書物に書き顕はし、世上流布致し候儀これ有り候。右の段自今御停止(ちょうじ/今後禁止)に候。もし右の類これ有り、その子孫より訴え出で候におゐては、きっと御吟味これ有るべきはずに候事。

一、権現様(徳川家康)の御儀は勿論、すべて御当家(徳川家)の御事板行・書本(かきほん/手書きの本。江戸時代の実録の呼び方)、自今無用に仕るべく候(今後作ってはならない)。よんどころなき子細もこれ有らば、奉行所え訴え出で、指図受け申すべき事。

 徳川に関わる書物は、板本はもちろん手書きの本であっても許されない。ところが、実録を扱っていた貸本屋(読者に貸し出して商売にしていた)はしたたかだった。禁じられると読みたくなる。そういう読者心理に乗じて、実録を何通りも写して貸し出した。幕府も禁令を出し、時に貸本屋から罰金を徴収したり、実録を焼き捨てるような挙にも出たものの、通常は手書きの本であれば黙認することが多かったようなのである。

『真田三代記』以外の実録も、少し紹介しておこう。『太閤真顕記』……墨俣一夜築城、長短鎗試合などの逸話はこの実録に収まる。御家騒動は、出版条例の「人々家筋先祖の事などを、かれこれ相違の義ども」に抵触する。御家騒動があったこと自体、藩は秘したいのだから、「相違の義」であろうとなかろうと、読み物にして出版することなど認めるはずがない。伊達騒動・加賀騒動・黒田騒動・柳沢騒動・仙石騒動等々すべて実録で世に広まった。実録の主人公の名前を列挙してみる。石川五右衛門、大久保彦左衛門、水戸黄門、由比正雪、大岡越前守、宮本武蔵、荒木又右衛門……お馴染みの名前が多い。庶民レベルにまで彼等の名前が浸透したのは、実録とそれを種とした講談によると断じてよい。英雄真田幸村を創造したのは、江戸文学と江戸の講談であった。


中編に続く

真田幸村
小林計一郎・著

定価:本体1,050円+税 発売日:2015年10月20日

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