2016.01.18 文春写真館

大横綱・北の湖は対輪島戦で駆け引きや小細工を考えたことがなかった

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

大横綱・北の湖は対輪島戦で駆け引きや小細工を考えたことがなかった

「北の湖の上手投げ、残す輪島……、北の湖攻勢です。半身の輪島……しぼる、しぼる、上手をとった輪島、胸が合います! 北の湖寄る、北の湖寄った、寄る! 寄り切り、北の湖の勝ちです」

 昭和五十三年(一九七八年)名古屋場所、大相撲となり、水入りをはさんだ後の中継だ。「輪湖時代」の映像には今も興奮させられる。「強くてどうにもなりません」というアナウンサーの言葉にもうなずくしかない。

 昭和二十八年、北海道生まれ。三保ヶ関部屋に入門し、中学生で初土俵を踏む。名前は故郷の洞爺湖からつけられた。突出した体格と運動神経で「北の怪童」の異名を取り、記録的な昇進をとげ二十一歳で横綱に。

 あまりに強くて無愛想なために、勝つと憎まれるほどだったが、それを強さの証と受けとめてエネルギーにした。負けた相手に手を貸さないのも不評だったが「相手に同情しているようで失礼だから」と、はっきりポリシーを語っている。

 優勝回数は二十四で歴代五位、連勝記録三十二。昭和五十年頃からの最盛期には輪島、貴ノ花、千代の富士などの名力士たちと共に、大相撲の一時代の中心にあった。

 写真は昭和五十一年九月に「週刊文春」のために撮影されたもの。当時の誌面には、何人もの付け人が立ったまま見守る中で悠然と食事をしている風景が掲載されたが、それとは対照的な表情だ。

 昭和五十六年の怪我以降は苦戦が続き、昭和六十年に三十一歳で引退。一代年寄を贈られて北の湖部屋を創設。平成十四年(二〇〇二年)には日本相撲協会の理事長に就任し、協会の自主興行や、企画・広報に力を入れるなど、相撲界の発展に力を尽くした。

 時津風部屋での集団リンチ死亡事件、朝青龍バッシング事件、弟子が関係した大麻事件など、多くの問題にあたり辞任や降格を経つつ、平成二十四年には再び理事長となる。外国人力士の台頭や八百長問題、協会の公益法人化など、時代の大きな変革の中で、良くも悪くも伝統と旧制度を守り、相撲界の新たな一時代を率いて奮闘していた。

 現役時代、ともに左相四つだった輪島と、いつも立ち合いからがっぷり四つの熱戦を繰り広げたことを、「横綱ですから、駆け引きや小細工を考えたことは一度もありません」と言っていた北の湖。直腸がんを患いつつも、平成二十七年十一月の九州場所に赴き、横綱白鵬が「猫だまし」の技を出したことを痛烈に批判するなど、存在感を発揮。だがその三日後に急逝し、世間を驚かせた。六十二歳だった。

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