2015.02.04 キャプテンサンダーボルト

第3回
「野暮用があってな」

文: 阿部和重 / 伊坂幸太郎

『キャプテンサンダーボルト』 (阿部和重 伊坂幸太郎 著)

1

二〇一三年七月一五日

 公道の側溝からあふれだした雨水が、とうとうこちらの車寄せにまで流れ込んできている。万が一の浸水に備えて設置したばかりの止水板が、途端に心許なく感じられた。降りはじめたのは一時間前だというのに、不吉なくらいに雨の勢いが衰えない。

 台風の影響で、山形市内では午後から雨がひどくなる、という予報は見事に当たった。

 山形のみならず、福島や宮城のホテルでも、ドアマンたちは皆こんなふうに空を見上げ、うんざりしているのではないか。田中徹は想像してしまう。

 一台のタクシーが、急ハンドルでも切ったみたいにいきなり車寄せに滑り込んできて、盛大に水をはねあげた。

 田中は反射的に身をよじったが、そのせいで背中に数百ミリリットルほど食らってしまい、天を仰がずにはいられない。もはや無事なのは、頭に載せたケピ帽と顔と胸もとだけになった。とっくにびしょびしょのトラウザーズと靴のなかが気持ち悪くてならず、眉間に皺が寄るのを抑えられない。

 現れたのは、ダークスーツやトレンチコートを着たビジネスマン風の外国人たちだ。

 同僚の黒田が、「滑りやすいので足もとにご注意を」とそつなく案内したが、全員が無言でエントランスにたたずんでいるため、日本語が通じているのかどうかは定かでなかった。金髪と白髪と黒髪のその三人組は手ぶらだった。一様に顔つきが険しいのは、チェックインを済ませて観光にでも出かけた矢先、突然の豪雨に予定を狂わされたからかもしれない。

「よお徹」

 不意に呼びかけられて振り返る。厄介な悪友の登場に、田中徹は溜め息をついた。ボウリングシャツにデニムといういつもながらの出で立ち(アメカジスタイル)で、相葉時之が館内から出てきたところだった。

「久しぶりだな相葉。いつ以来だ?」

「角山の結婚式かな。あれって一昨年か?」

「ああ、あれっきり会ってねえのか。びっくりだな」

「おまえがその仕事、未だにクビになってねえことのほうがびっくりだよ。守りとか、ほんと下手くそだったくせにな」

「なんの話だよ」

「外野の守備、おまえザルだったじゃねえか。誰でも通しちまうドアマンなんて、危なくてしょうがないだろ」

 相変わらずの口の悪さだ。おまけにガキの頃の話を、昨日のことみたいにしゃべっている。

「そっちはまさか、ご宿泊でのご利用ってわけじゃないよな。これからお偉いさんの集まりあって大変だから、おまえの相手してる暇はないぞ」

「なんの集まりだよ」

「五時から宴会場で国がらみのレセプションがあるんだ」

「国がらみ? 我が山形市もついに、世界の中心かよ」

「農業関連だからな。相葉、おまえみたいなのが冷やかしでうろちょろしてると、即行でつまみ出されるぞ」

「はいはい。どのみちそっちには用ねえから安心しろよ」

 ガムを噛みながらポケットをごそごそ探っている相葉時之が、平然と出入り口の真ん中に突っ立って通行の妨げになっているため、田中は腕を引っ張って脇にどけさせた。

「で、なにしにきたの大投手様は」

「野暮用があってな」

「野暮用ねえ。どうせまた、胡散臭い金儲けにでも関わってんだろ?」

「うるせえな」

「相葉、これ言うのもう百回目くらいだし、さすがに俺も飽きちまったけどさ、そろそろ落ち着いたらどうなんだよ。あと二年やそこらで三十だぜ俺ら。いい加減、まともな職探せって」

 百回目の忠告も意に介さず、「まともな仕事ってのは、そういう仕事ってことか?」などとお返しの嫌みを口にして、相葉時之はわざとらしくこちらの全身を眺めまわしている。濡れ鼠になって働いているのをおちょくっているのだ。タイミングがいいのか悪いのか、田中はそこでくしゃみをし、いっそうの笑いを誘ってしまった。

「同じ田中でも、マー君とはえらい違いじゃねえか」と相葉がさらにからかってくる。

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キャプテンサンダーボルト
阿部和重 伊坂幸太郎・著

定価:本体1,800円+税 発売日:2014年11月28日

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