まがいもののベートーヴェンを造出した現代人の病根
文: 神山 典士
『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』 (神山典士 著)
この事件と出会って、週刊文春誌上でレポートすることが決まった段階で、私は編集者に「いずれ1冊の単行本として発表したい」ということを告げていた。週刊誌での連載経験が少なかったからどういう状況になるのかわからなかったということもあるが、事件の深層にある幾多の人間ドラマを考えたとき、纏まったノンフィクション作品にしなければ自分の役割は済まないだろうと直感していたからだ。
この事件報道が過熱した2月から4月にかけて、あまりに大量の情報が多くの媒体から流されたがゆえに、世間では真実がぼやけてしまった感があった。
佐村河内に18年間も使われていた新垣には、何らかの弱みがあったのではないか。
新垣が真実を暴露した裏には、金銭的なトラブルがあったのではないか。
佐村河内には、少女を好む性的嗜好があったのではないか、等々。
いかにもワイドショー的な推測が、ネットを中心に駆けめぐった。もちろんそれらは、次のヒールである小保方晴子やASKAの登場によって跡形もなく消えていく、一過性の興味本位のものではあったのだが―――。
そういう状況にあって私に課せられたのは、この事件を引き起こした人間の底知れぬ欲望や、「売れるが勝ち」という市場原理に操られた我々の社会の脆さを描くことにあり、メディアに祭り上げられ傲慢になっていた佐村河内の指示に反旗を翻し、「大人は嘘つきだ」とその本質の空虚さを指摘した1人の少女の姿をあますところなく記すことだった。
週刊文春での連載が終わってからも、私は残った謎を炙り出すために取材を続けた。幸いにして、最盛期には7名もの記者が各地を走り回って取材を重ねてくれたお蔭で、膨大なデータも手元に残った。
なによりも今回の作品で大きかったのは、もう15年も前、「今日から全聾になりました」と新垣に告げた佐村河内が、「これからはこのメールでやりとりしましょう」と言いながら、携帯電話を新垣に手渡したことにある。