2015.04.27 文春写真館

上方落語を復活させた立役者、桂米朝

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

上方落語を復活させた立役者、桂米朝

 品のよい語り口で親しまれ、落語を「人生肯定の芸」と評した桂米朝は、大正十四年(一九二五年)、中国の大連に生まれる。本名中川清。父が兵庫県姫路市の神主を継ぐため、帰国。幼い頃から、父や親戚の影響で、落語や浪曲に親しむ。旧制姫路中学卒業後、上京。大東文化学院(現在の大東文化大学)在学中に、作家で落語研究家だった正岡容(まさおかいるる)に入門する。戦争で応召するが、病に倒れ入院、終戦を迎える。

 戦後、会社員となり、落語愛好家として衰退していた上方落語復興に努めていたが、正岡から勧められ、本格的に落語家を目指す。桂米團治(四代目)の内弟子となり、米朝(三代目)を名乗る。しかし、親戚の猛反対を受け、一時は姫路に戻り、郵便局に勤める。昭和二十六年(一九五一年)、米團治が亡くなり、一念発起、落語家となることを決意。千土地興行に所属したが、後にフリーとなり、独演会や一門会を多く開催するようになる。ラジオやテレビにも積極的に出演。「地獄八景亡者の戯れ」といった大ネタなど、廃れた話の復活にもつとめ、松福亭松鶴(六代目)とともに、「上方落語中興の祖」といわれるようになる。昭和四十九年、米朝事務所設立。月亭可朝、桂枝雀、桂ざこばをはじめ、数多くの弟子を育てた。

「私は少年のころから落語が好きで、聞いて楽しみ、読んで楽しみ、自分でしゃべりもしました。そしてこの芸からいろんなものを吸収しました。(中略)しかしこれを職業とするようになってから、苦しみや悩みが生じてきて、ある時期、せっかくの好きな落語を楽しいものでなくしてしまったことにちょっと後悔を持ったこともありました。ところが、その時期をすぎますと、今度は今まで気がつかなかったおもしろさや、この芸の奥深さがわかるようになり、さらに人生観というか、人間として生きてゆくうえの、心の持ち方、人の気持ちへの思いやり、善悪その他の価値判断、そんなものまで、私は落語を通じて考えさせられるようになってきたのです」(桂米朝『落語と私』文春文庫より)

 落語家として初めて、文化勲章を受章。平成八年(一九九六年)、五代目柳家小さんに続いて二人目の人間国宝に認定される。平成二十七年三月、永眠。写真は昭和五十年六月撮影。

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