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天童荒太×松田哲夫「この世界に一番いてほしい人」<br />第3回:静かな作品世界(1)

天童荒太×松田哲夫「この世界に一番いてほしい人」
第3回:静かな作品世界(1)

『悼む人』 (天童荒太 著)


ジャンル : #小説

松田 生身で疑似体験されて出てきたことではないかという感じがしましたが、やはりそうでしたか。頭の中で考えただけでは、全身全霊をかけて悼んであげるべきだという理想論に走ってしまいそうな気がします。

天童 道端で死んだ人にも実はこんな人生がありましたと、思い入れたっぷりに描いたほうが、小説表現として見栄えがするということはあるかもしれませんけど。

松田 もちろん天童さんはそんな書き方はしないでしょうが、静人のような人間を狂言回しにして、一見なにもなさそうな人生でも、じつはそれぞれのドラマがありますというかたちで、連作で延々と書いていくという書き方だってあり得ますよね。

天童 小説として執筆を始める前の準備段階で、プロットやエピソードを創作してストックしていくんですが、その時点では、静人に悼まれる人々の人生物語を丁寧に構築して、連作のかたちにしてもいいかもしれないなどと思っていました。でも、自分が静人になって悼みに行ってみたら、とんでもない世界で……これはちょっと違うぞと(笑)。

松田 ここまで話してしまうと読者の楽しみを奪うことになるかもしれませんが、静人自身の存在がある時点までは読者にも判然としなかったのが、「悼み」という行為を続けていくうちにある高みに達していくというか、やっぱり聖なる存在に近づいていくわけですよね。実際に後半の蒔野の視線は聖者を見ているような眼差しだし、「悼み」の旅で出会った、自分の子供のことをもっと語ってくださいと言う人などは、ある種の信者的な存在と言ってもいいと思います。だから普通に考えると、「悼み」という行為を積み重ねることによって、静人が常人では到達し得ない域に達した人間になっていく物語なのかなと思いますよね。ですから、物語の終盤の展開には非常に驚かされました。

天童 ちょうど「オール讀物」の連載で終盤のあたりを発表したおり、松田さんとたまたまお会いして、静人が人間的な面を人に見せてゆく場面を少し危惧されていましたよね。

松田 あの時点では、静人が聖者になっていく展開しかないだろうと思っていましたから、果たしてそれでいいのかなと。

天童 僕自身、書き始める前に編集者に構想を語っていたときは、静人という存在は真空なんです、いわゆる台風の中心部で、これは彼を取り巻く周囲の人たちが、彼と接することによって変化していく話なんですよ、などと説明していましたから。わかりやすい例として、まあ実際には違うけれども、聖者になる前のイエス・キリストのような歩みをする男の物語だとか、アッシジの聖フランチェスコのような、何をしているのかよくわからないけれども純粋さで人々を引きつけていく人物の物語なんだ、というようなことも話していたんです。ところが実際に書き進めて、僕自身が物語のなかに深く入り、小説内の出来事を体験していくと、静人は真空のままでいいのだろうか、と疑問が生じてきました。いわゆる聖者誕生のような物語にしてしまったら、僕がこの物語に込めた想いが、結局は読者に届かなくなってしまう恐れがあるように感じたんです。

 松田さんが、単行本用の初稿を読んで、感想を手紙に書いてくださったなかにありましたよね。「静人を聖者にしてしまえば、美しい物語として昇華させることはできたでしょう。でも、それでは、人びとの地平を超えた存在に、大事なものを預けることになってしまう。どんなに重くても、担いきれないとしても、あくまで普通の人間として、大事な問題を引き受けていこう。そういう天童さんなりの覚悟が、ひしひしと感じ取れました」と。

 真意を読み取っていただいて、非常に嬉しかったです。本当に大切なものを、聖者とか救世主とかの人間以外の存在に託してしまっては、「悼む」ということの重みと貴さ、責任感みたいなものが伝わりません。彼は、自分たち一般の人間とは違うから、という言い訳を用意してしまってはいけないわけで、自分たちと同じ弱い人間であり続ける者が、苦しみ悩み迷い、時には愛や性に溺れるようなことがあっても……ほんのわずかにしろ、つらい想いをしている人に心を添わせることができれば、当人も、相手も、違う風景の場所に行けるんだということを伝えるためには、静人はやっぱり人間でなくてはならなかったんです。

天童荒太×松田哲夫 「この世界に一番いてほしい人」
第1回:プロローグ
第2回:読者の声と作家の決意
第3回:静かな作品世界(1)
第4回:静かな作品世界(2)

悼む人 上
天童荒太・著

定価:本体590円+税 発売日:2011年05月10日

詳しい内容はこちら

悼む人 下
天童荒太・著

定価:本体570円+税 発売日:2011年05月10日

詳しい内容はこちら

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