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不器用な愛と別離の物語

不器用な愛と別離の物語

文:中山 涙 (作家・フリーライター)

『二十五の瞳』 (樋口毅宏 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

 時は移り、二〇一二年五月。本書『二十五の瞳』は、樋口毅宏の六作目の著書(五作目は『テロルのすべて』)として上梓された。四つの短篇から構成される連作短篇集であると同時に、一つのテーマが背後に横たわる長篇小説であるとも言える。

 本書には、東日本大震災とそれに伴う福島の原発事故、そして作者自身の離婚という出来事が色濃く反映している。妻を深く愛していながら、ささいな心のすれ違いによって別離に至った作者は、その心の痛みを四組のカップルに投影した。平成から昭和、大正、明治へと、一篇ずつ過去にさかのぼってゆく趣向である。

 本書のタイトルは、一九五二年(昭和27年)に刊行され、その二年後に映画化された壺井栄の小説『二十四の瞳』を下敷きにしている。作中で映画の内容がざっと紹介されているので、事前に小説や映画を読んだり観たりする必要はないが、もしも知っていれば、より楽しむことができるだろう。

 これまで荒唐無稽なバイオレンス小説を書くことが多かった作者だが、本書の序章と終章では、ありのままの出来事を私小説として書いている。作者の覚悟と現実を見つめる冷徹さには舌を巻かざるを得ない。

 序章のタイトル「小豆島へ行くつもりじゃなかった」は、フリッパーズ・ギターのファーストアルバム「海へ行くつもりじゃなかった」のもじりだ。他の作品同様、本作にはさまざまな曲の歌詞や映画のセリフなどがさまざまに引用されている。きわめてシリアスな事態を語りながらも、くだらない駄洒落やパロディを挟んでしまうのは、ビートたけしがバイク事故のあとの記者会見で、ゆがんだ顔面を自ら「顔面マヒナスターズ」と称したのと同じだ。

 きわめて特異なのは、「ニジコ」と呼ばれる二十五の目を持った怪物を配置し、不幸な男女を見守る存在として設定したことである。ニジコの存在はもちろん完全なる作者の創作で、おそらくは高峰秀子が「二十四の瞳」のタイトルを聞いた際、「まさか怪奇映画じゃなかろうか?」と思ったという逸話からの連想だろう。

 以下、四つの短篇の内容を簡単に解説していきたい。

 第一話「あらかじめ失われた恋人たち」では、美貌のニュースキャスター大石久子が、中国のインターネット事業や北京オリンピックに伴う地上げなどで財をなした若手起業家・宋永漢と再会を果たすことによって巻き起こる悲劇が描かれる。章のタイトルは、田原総一朗と清水邦夫が監督したATG映画から。大石久子というヒロインの名前は、『二十四の瞳』の主人公と同じだ。宋永漢は、ソフトバンクの孫正義がモデルで、ネーミングは評論家の宋文洲と、実業家で作家の邱永漢を合わせたものだろう。ついでにいえば、政治家の小山田健二は、もちろんフリッパーズ・ギターの小山田圭吾と小沢健二を合わせたもの。

 作中で語られるドキュメンタリー映画「FUEL」は、「松嶋×町山 未公開映画を観るTV」で紹介された作品である。樋口毅宏は、宋永漢というエネルギッシュな人物を創造することによって、「FUEL」で監督と主演を務めていたジョシュ・ティッケルと同じことを巨大な規模でシミュレートしてみたのだろう。その背後には、作者が『テロルのすべて』で描いた、ジョージ・W・ブッシュ政権以降のアメリカへの強い不信がある。

 第二話「『二十四の瞳』殺人事件」では、映画「二十四の瞳」の撮影現場を舞台に、悲恋の物語が描かれる。

 念のため書いておくと、「二十四の瞳」と「七人の侍」が同時期に撮影されていたのは間違いないが、黒澤明が小豆島を訪れたことはないし、そもそも高峰秀子との恋人関係はとっくに破局していた。一方で井ノ島謙輔が完全なオネエ言葉で喋っているのが異様だが、誇張はあるにせよ、木下恵介が女性の言葉遣いで喋っていたのは事実であり、その作風が女性的な感性に支えられていたことは、多くの映画評論家の指摘する通りである。

 黒澤明の作品名がすべて出てきたり、唐突に某ヒット曲の一節が引用されたりするなど、悪ノリと紙一重の、遊び心に満ちた一篇である。

 第三話「酔漢が最後に見たもの」では、俳人・尾崎放哉の人生に、伝奇的なスパイスをふりかけて、凄絶なフィクションを作り上げている。帝国大学を卒業し、東洋生命保険会社を十年で辞め、朝鮮火災海上保険会社に再就職したものの、約一年で退社。以後、最愛の妻とも別れて放浪の人生を歩むことになった。作中のどこまでが虚構なのか指摘するのは野暮なのでやめておくが、もしも放哉の人生に興味があれば、吉村昭の『海も暮れきる』を読むのをおすすめする。

 そして第四話「二十五の瞳」では、この島にまつわる物語の発端、つまりニジコという怪物がどのような経緯で誕生したのかが語られている。時代は明治時代で、文章の仮名遣いは、その頃書かれた漱石の『坊っちゃん』を参考にしている。主人公は空海放助という名の教師で、二十四、五歳という若さなのだが、頭には毛が一本もなく、ちんちくりんな体型だった。この主人公の名前と外見は、某名作漫画からの引用だ。空海は、小豆島を牛耳る実力者の大石松太郎の一人娘・大石織舞と交際していて、いわば「ロミオとジュリエット」のような関係にある。大石鉱業による環境破壊は、東日本大震災がきっかけで発生した福島原発の放射能漏れと重ね合わせて読み解くことができる。

 各所にパロディやもじりがちりばめられ、漫画のようなデフォルメをほどこしながら、著者は当人たちにはどうすることもできない悲恋を四話にわたって描き続ける。それらの描写は、やはり作者自身が妻との別離を体験したことで切実さを帯びているのだろう。全力でひょうげてみせながら、哀切きわまりない真実を描き続ける作者の手腕に、今回も脱帽させられた。

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二十五の瞳
樋口毅宏・著

定価:本体600円+税 発売日:2014年10月10日

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