2015.06.15 文春写真館

西洋の伝統と文明に圧倒されながら、おのれを見つめ続けた金子光晴

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

西洋の伝統と文明に圧倒されながら、おのれを見つめ続けた金子光晴

 洗面器のなかの/さびしい音よ。 /くれてゆく岬(タンジョン)の/雨の碇泊(とまり)。 /ゆれて、/傾(かたむ)いて、/疲(つか)れたこころに/いつまでもはなれぬひびきよ。……(『女たちへのエレジー』のうち「洗面器」抜粋)

  広東の遊郭で、女が男客の目の前で洗面器にまたがり「不浄をきよめ、しやぼりしやぼりとさびしい音を立てて尿をする」音。その情景、時代、センスともに、金子の詩の真骨頂だ。

 昭和のはじめ、無一文に近い状態で、あらゆる底辺の仕事をしてお金を作りながら、アジアからヨーロッパまで放浪した詩人。ヴェルレーヌやランボーの訳者。放埒でロマンチックなイメージとは裏腹に、国家や大衆の流れを冷徹に分析し、自己と自国についての信念のあった作家。

 明治二十八年(一八九五年)愛知県に生まれ、二歳で養子に出され、京都、東京と転居しつつ成長。骨董好きの養父の影響で日本美術に造詣を深め、十四歳で漢学から江戸文学に通じ、寄席や遊郭にも通うという早熟ぶりだった。暁星中学を卒業後、早稲田大学(英文科予科)、東京美術学校(日本画科)、慶応義塾大学(英文科予科)を転々とするが、いずれも卒業していない。

 二十二歳のときに養父が亡くなり遺産を手にするが、数年で蕩尽し、二十四歳で骨董商と共にヨーロッパに旅行し、西洋の伝統と文明に圧倒される。

「大正の移入文化の浅さと、みにくさを感じるにつけ、古い日本の文化が、旅寝の夢に僕を誘ったものだ。しかし、その美しい世界は、故国に帰っても、もはや滅びて得られないものであった」(『絶望の精神史』より)

 帰国後、本格的に詩人としての作家活動を始めるが、時代の抑圧的空気や夫婦関係の行き詰まりから、夫婦で世界を放浪し始める。一貫して戦争に反対し、息子を病気にしてまで召集を逃れさせた。

 写真は昭和五十年(一九七五年)の「文藝春秋」八月号に掲載された、成蹊大学の前を散歩している風景。戦後の平和と豊かさを享受し、情報や流通の発達により、世界中が同じ生活をするようになった時代を実感しつつ、金子は、「同時に、ばらばらになってゆく個人個人は、そのよそよそしさに耐えられなくなるだろう」「彼らは、何か信仰するもの、命令するものをさがすことによって、その孤立の苦しみから逃避しようとする」と予見し、その時、戦争を知らない若者が「この狭い日本で、はたして何を見つけだすだろうか。それが、明治や、大正や、戦前の日本人が選んだものと、同じ血の誘引ではないと、だれが断定できよう」(同上)と言った。

 この写真の撮影の一ヵ月後、七十九歳で他界。だがその予言は、今まさに見直されるべきものとなっている。

画像貸出しについて
文藝春秋写真資料部は、テレビ、新聞、雑誌をはじめさまざまなメディアのニーズに迅速にお応えできるよう貸出しの体制を整えております。デジタル化された写真データは、現在約25万点。「文藝春秋」の「日本の顔」はじめ数々の企画もの、「週刊文春」のスクープ写真、「Number」のスポーツシーン、「CREA」や「CREA TRAVELLER」の国内外の自然の風景、さらには戦前の人物や行事を取り上げた資料的価値の高い貴重な写真もとりそろえております。
詳しいお問い合わせはこちらまで
(株)文藝春秋 写真資料部  電話:03-3288-6122 FAX:03-5276-7004