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『鬼平』を28年間支え続けた、伝説の殺陣師・宇仁貫三氏が語る「雲竜剣」のすべて

『鬼平』を28年間支え続けた、伝説の殺陣師・宇仁貫三氏が語る「雲竜剣」のすべて

取材・文:春日 太一

出典 : #オール讀物
ジャンル : #歴史・時代小説

初代のドラマ『鬼平犯科帳』から現場に立ち続け、吉右衛門版でも二十八年間を務め上げた宇仁貫三氏にインタビュー。

 宇仁貫三(うにかんぞう)は、中村吉右衛門版『鬼平犯科帳』のシリーズ開始当初から二十八年間、殺陣師(たてし)として作品に携わり続けてきた。

「『鬼平』と関わっている時間が物凄く長かっただけに、今回で最後という話を最初に聞いた時は二日ぐらい寝付けなかったです。

 最後の撮影に臨むということに興奮しているのもありましたし、『これで終わりなんだ……』という寂しさもありました。そういう、いろいろ複雑な感情が入り混じりまして、しばらくの間はどうすればいいのか分からなくなっていました。それまで、『鬼平』が終わるということは全く考えていませんでした。行けるところまでやるんだろうという感覚でしたから」

 最終作となる「雲竜剣」は、吉右衛門の娘婿でもある尾上菊之助が演じる虎太郎、田中泯が演じる伯道、そして鬼平……と三人の剣客が登場する。殺陣を通してそれぞれの生き様の違いを表現するのが、宇仁の腕の見せどころだ。

「殺陣の場面では、僕が旦那(吉右衛門)と監督の間に入って打ち合わせをします。まず僕なりの意見を申し上げて、旦那の要望を聞き、それを一つにまとめてあとは現場で、と納得してもらえたところで監督に伝える――それがずっと最終回まで続きました。

 最終回はなおのことです。虎太郎は腕は立つし、その父親の伯道も腕が立つ。平蔵も腕が立つ。ですから、立ち回りも三者三様に持っていかなきゃいかんなというので、いろいろ工夫しました」

 平蔵と虎太郎の一騎打ちの場面では、虎太郎の必殺「雲竜剣」に苦戦する平蔵の姿が描かれている。

「菊之助さんが出ておられましたので、『虎太郎を立ててほしい。そうすれば鬼平も立つよね』という要望が旦那からありました。 

 虎太郎の雲竜剣は刀を大きく回転させて斬りかかる剣法です。それで、普通は一太刀目をかわされると、二太刀目は別の形で斬りかかります。でも、最後の立ち回りでは違うことを考えています。

『今度は二回転させましょう。一回しか来ないはずなのに、今度は二回来る。それをどうかわしたらいいのかと、平蔵が一瞬たじろぐという方向だったらどうですか?』と僕が申し上げたら、旦那は『それなら小刀で斬りたいね』とおっしゃったんです。

 それで改めて僕が考えたのは、平蔵が打ち込んだ刀が最初の回転に巻き込まれて飛ばされてしまって、どこかに突き刺さってしまう。そして、その次の回転で斬りかかってきた時に、平蔵は小刀を抜いてそのまま押し切るように下から斬り上げる。刀身が短いので、至近距離からえぐるように斬る。その動きを僕が現場でやってみせたところ、『いいよ。それで行こう』とおっしゃったので、そういう立ち回りになりました。

 最終回ということで、そういう打ち合わせを入念にすることになりましたので、いつもよりも楽屋にお伺いする回数が多かったですね。

 でも、僕は一つ疑問もありました。平蔵ほど腕の立つものが刀を簡単に飛ばされるものなのかと。すると旦那は『でも、向こうがそのぐらいの腕を持っていてもいいんじゃないの?』とおっしゃる。

 旦那が菊之助さんをこれからは女形ではなく立ち役の男役でも生かそうとしておられるなということを十分に理解していましたから、『では、それで行きましょう』ということになりました」

 殺陣シーンの撮影の場合、殺陣師が見本を見せ、それから役者が何度もリハーサルを重ねてから本番になるため、通常は撮影に時間がかかる。だが、『鬼平』の場合は、これが物凄くスピーディに進む。

「長くやっていると、段々と『旦那はこういう感じを狙っているんだろうな』ということが自分なりに――見えてくるんですよね。それが正しいか間違いかは分かりませんけど、こういう流れで行ったほうがいいな、と。それによって当初のプランを現場で急に変える時もあります。

 僕は段取りを付けるのが早いんです。それで、一度段取りをつけたら今度はゆっくり動いて流れを見せます。旦那は、もうそれだけで全ての流れを覚えておられます。ゆっくりとした動きをお見せしたら、『ああ、いいよ』とおっしゃる。そこで僕が『次、軽くテストで本番いきましょう!』と言うわけです。

 その時に必ずおっしゃるのが、『宇仁ちゃん、これでいいのね』。それに対して僕は『いいんです。どうぞ』。断言します。そうしたら、旦那は『うん』とおっしゃって本番に臨みます。これは、毎回ワンカット、ワンカット、必ずやられます。

 ところが、この最終回に限ってはそのやりとりをなされませんでした。なぜなのか、それは僕も分かりません。最後ですから『これでいいのね』ではなく、『これでいいんだ』という想いで臨まれたように僕は受け取りました」

 二〇一六年七月十五日、鬼平=吉右衛門の、最後の立ち回りが撮影された。この日も、もちろん宇仁は現場を差配し、吉右衛門に寄り添う。

「その日の最後のワンカットとなった時、『吉右衛門さん、あとワンカットで立ち回りは終わりです』って言ったのですが、その瞬間に僕の目からブワーッと涙が出たんですよ。

 これで二十八年間の『鬼平』も終わりか、というのが頭に残ったんでしょうね。だから、思わず涙が出て。吉右衛門さんも『エッ!』とビックリされていました。泣こうと思って泣いたわけでもないんですよ」

 七月十七日は、吉右衛門の最後の撮影日となった。その撮影が佳境に差し掛かった頃、宇仁は現場に顔を出す。そして撮影が終わると、吉右衛門の楽屋へと向かった。

©フジテレビジョン/松竹

「改めて、きっちりとご挨拶させていただきたくて、うかがったんです。

『長い間お世話になりました。ありがとうございました』『いろいろなことがあったね』『いやいや、ございましたけど、でも、やっとこれで終了しました』というようなお話をさせていただきました。

 それで最後に『ありがとうございました』と言って表に出たら、お弟子さんたちが『また歌舞伎座の楽屋に来てください』ということをおっしゃったんですよ。『いつでもお電話してください。僕たちがちゃんとお通ししますから』と言ってくれて。

 そのままエレベーターに乗り込んだのですが、楽屋のある四階から一階まで下りる時に『ああ、終わった』という感じがしました。旦那にご挨拶して、初めてその気持ちが湧いてきたんですよ。エレベーターがスーッと下がっていく時、自分も一緒に血がスーッと引いていくような感じになりました。

 やっぱり二十八年というのは短いようで長いです。『今から考えたらあっという間だ』という言い方をされる人もいるかと思いますが、僕にとっては、あっという間ではなかったですね。長かったな、という感じはありました。長いというのは、作品が良いから長く続いてきたということでもあります。そういう気持ちが強かったので、短く感じることはありませんでしたね」

 三船敏郎に見出され、黒澤明、稲垣浩、岡本喜八といった名監督たちの作品に参加、そして吉右衛門の父・松本白鸚による初代『鬼平』の殺陣も担当……そんな数々の名作時代劇にその名を刻んできた宇仁だが、本作との二十八年にも及ぶ歳月は特別なものだった。

「『鬼平』を置いては、僕のキャリアの話はできません。

 映画やテレビ、いろいろな所で監督はじめスタッフさんにもお世話になりましたし、スターさんにも可愛がっていただきました。その上に、歌舞伎のトップ、人間国宝の方とまでやらせていただいたわけですから。『鬼平』に対しては、感謝の念に堪えません」

電子書籍
オール讀物11月臨時増刊号
永遠の鬼平犯科帳
オール讀物編集部

発売日:2016年10月22日

文春文庫
鬼平犯科帳 決定版(一)
池波正太郎

定価:825円(税込)発売日:2016年12月31日

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