2014.07.03 書評

『司馬遼太郎対談集 日本人を考える』解説

文: 岡崎 満義 (元「文藝春秋」編集長)

『司馬遼太郎対談集 日本人を考える』 (司馬遼太郎 著)

 この遺書に書かれている肉親親族の名前は父母を入れて三一人にのぼる。大家族の団欒(だんらん)風景はこのあたりでもはや見ることはできなくなったといえるだろう。

 血縁・地縁共同体の消えた日本に残ったのは会社共同体である。終身雇用・年功序列制の会社にまだ共同体の温もりがあり、長嶋茂雄はその共同体の最高の“公僕”として、エコノミックアニマルとして生きた私たちを応援してくれたのである。長嶋引退の一九七四年に生まれた松井秀喜、その前年オイルショックの年に生まれたイチローは、後にともにアメリカの大リーグへ向った。とくにイチローは長嶋が脳梗塞で倒れた二〇〇四年、大リーグ新記録となるシーズン最多安打二六二本を打ってファンを驚ろかせた。私は長嶋とイチローはそれぞれの時代の生き方をみごとに体現し、それも対照的なライフスタイルを見せてくれたように思う。

 どうしたら三〇〇〇万の野球ファンを楽しませることができるかを日夜考え、努力した長嶋を、私はつい、今年一〇四歳で亡くなった詩人まど・みちおのあるインタビューに重ね合わせてしまうのだ。まどさんは「私の中のみんなが私に詩を書かせてくれるような気がする」と言う。長嶋もまた「私の中のみんな」に動かされ、みんなのために、プレーしたに違いない。イチローは違う。「私の中の私」をさらに磨くためにプレーし、努力しているように見える。さまざまに工夫し練習する中で形成されてくる日々新しい私をファンに見てもらうことこそが大切だ、と考えているようだ。長嶋は会社共同体が信じられた時代の人、イチローは血縁・地縁共同体はもちろん、会社共同体すら危うくなったグローバル化した世界で、「個」として自立する人間の姿をクッキリと見せている。

 二〇〇四年はプロ野球界で選手のストライキがあって、球団の合併や新球団の誕生もあった。一九九三年に生まれたサッカーのJリーグの影響もあったであろう。野球の巨人が日本のプロスポーツを代表する時代ではなくなったのである。この年、もう一つ忘れられない出来事は五月十日、皇太子がヨーロッパ訪問の旅に出られる時の記者会見での発言だった。「雅子のキャリア、それに基づく人格を否定する動きもありました」とおっしゃったことにびっくりした。たしかに昭和天皇は「人間宣言」をされたのだが、昭和天皇も現天皇も「象徴であることと人格」の問題についてことあげされることはなかった。天皇皇后の清浄な日常の存在そのものに、ときに象徴を思い、ときに人格を感じてきたのが私たちである。そのことをあからさまにことあげすれば、象徴とは何ぞや、象徴に人格とは? 象徴に人権はあるのか……などのややこしい問題が出てくる。皇太子の発言を聞いて、日本はいよいよ個の時代を迎えたことだけはたしかだと思った。イチローが個のプラス面を見せてくれるのに対し、キャリアウーマンだった雅子妃の長年にわたる精神的な病いは孤立した個のマイナス面を示すものだろう。共同体という場を離れた個の自由さと大きな不安を感じるのだ。

 そんなことを考えながら「対談集」を読むと、ホストの司馬さんもゲストの一二人も驚くほど時代に敏感に反応し、先を予見していることが分かる。たとえば犬養道子さんは「何千年来の原則をかたくなに守る執着心のつよい、粘液質の民族がうようよいて、これと否応なくつきあわねばならぬ。日本人の淡白であっけらかんとした好人物の性格を変えないようにしながら、そういう民族と対等に太刀打ちしながらやっていくために、どうしたらいいのかしらねぇ」と心配する。

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司馬遼太郎対談集 日本人を考える
司馬遼太郎・著

定価:670円+税 発売日:2014年06月10日

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