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吉田松陰の狂気を受け継いだ長州志士、品川弥二郎の生涯に一掬の涙を

吉田松陰の狂気を受け継いだ長州志士、品川弥二郎の生涯に一掬の涙を

文:古川 薫

『志士の風雪』 (古川薫 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #歴史・時代小説

『志士の風雪』は純然たる伝記でなく、伝記的小説のつもりだが、品川弥二郎のこの破天荒なふるまいを正面から扱い、しかも彼の立場を弁護し正当化するのではなく、「やむにやまれぬ大和魂」という師吉田松陰ゆずりの狂気と志士官僚の果敢な行動を、当時の混濁した政情を踏まえて肯定的にかつ情緒的に書くことになったが、著者はこれで江湖の共感を得られるとは思っていない。討死した品川の「やむにやまれぬ」心情に一掬の涙をと訴えたいのである。

 農業協同組合だけでなく、信用金庫、信用組合はじめ産業、生活協同組合は世界の「小農小工商」に生きる十億人が加盟する巨大組織に発展している。TPP加盟という深刻な課題に直面している今、わが国協同組合の成立事情を品川の生きざまと共にあらためることになったのも単なる偶然ではないような気がしてならない。

 ところで本書が出てから二年あまり後、NHKの大河ドラマ『花燃ゆ』がはじまった。ヒロインは松陰の妹文(ふみ)である。本書では品川弥二郎の文にたいする「忍ぶ恋」を、通奏低音のように描いた。「弥二郎を指導してやれ」というのは、久坂玄瑞にたいする松陰の遺言でもあったから、この二人はいつも共に活動し、弥二郎は玄瑞が京都鷹司邸で闘死する間際までそばにいた。玄瑞死後の文の行く末にも、あたたかい目をそそいでやっているが、玄瑞の京都での愛人井筒タツ母子にも目を配っているのは、玄瑞への友情にほかならない。

 文という女性には資料が少なく、また副主人公の楫取素彦(かとりもとひこ)には風雲児的な要素が薄いのでかなり虚構の多い作劇になるのだろう。揃い踏みするような志士たちが「この国を救うのだ!」と観念的なセリフを繰り返し怒号するだけでは動乱の世を生きる人物に潜在する劇的な存在感が出てこない。

 より史実に近づくとすれば幕末政情の中枢を走った久坂玄瑞や品川弥二郎らを充分に躍らせ、定点観測の位置にいる寡黙な留守居妻文の静謐な姿勢を透かして静と動の人間模様を描きながら、日本史が不気味に暗転する背景世界をじっくり描いて欲しいというのが勝手な僕の感想だが、要らぬ世話であろう。

 要するに僕としては、松陰の妹と結婚させられた久坂玄瑞という激徒のパートナーとなった志士品川弥二郎の運命を追ったのだった。かろうじて明治三十三年(一九〇〇)十九世紀最後の年まで生き残って無一文となり、熱望した産業組合法の国会通過を告げる声を、薄明の意識の中で聞きながら世を去った下級武士の「無物不所」の生涯が、華やかな大河ドラマの裏に隠れていることを知ってもらいたいのだ。

     二〇一五年 盛夏

(「文庫版のためのあとがき」より)

志士の風雪
古川薫・著

定価:本体600円+税 発売日:2015年08月04日

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