2014.10.14 文春写真館

客と一緒になって笑い、楽しんでいただくのが桂枝雀流の落語

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

客と一緒になって笑い、楽しんでいただくのが桂枝雀流の落語

 桂枝雀(二代目)は、昭和十四年(一九三九年)、神戸市生まれ。本名前田達(まえだとおる)。戦争中は鳥取県に疎開し、戦後伊丹市に住む。神戸大学文学部に合格するが、中退。三代目桂米朝門下に入り、桂小米を名乗った。昭和四十五年、漫才師の修業中だった志代子夫人と結婚。高座では、夫人が鳴り物の三味線を弾くことになる。

 落語一筋に没頭し、昭和四十八年、二代目桂枝雀を襲名。襲名後は抜群のセンスで一気に頭角を顕し、早口とオーバーアクションで客の笑いを誘う芸は、「東の志ん朝、西の枝雀」とまで評されるようになった。「代書」「宿替え」などの持ちネタのほか、「池田の猪買い」「地獄八景亡者戯」などの大ネタでも高い評価を得た。

 また、英語で落語を演じ、昭和六十二年以降、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどで公演した。

〈噺家の力量は寄席でこそ問われると考えておいでのなかには、私をひ弱な芸人や言われる方もおられます。独演会中心の活動に対するご批判でしょうが、私は寄席の短い時間でお客さんの気をひくことはようしません。私の落語を聴きに来られたお客さんと一緒になって笑い、楽しんでいただく。それが桂枝雀流の落語なんです〉(「文藝春秋」平成元年=一九八九年三月号「日本の顔」より)

 写真はこのとき撮影。

 研究熱心で絶大な人気を誇りながらも、落語をきわめようという真摯な姿勢は終生変わらなかった。五十代半ばころから、持病の糖尿病や高血圧に悩むようになったこともあり、若いころに苦しんだうつ病を再び発症。平成十一年三月、自殺を図り、四月に亡くなった。

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