この小説を手直ししている時、ふと手に取った1冊の本がある。
エレノア・コッポラが書いた、「『地獄の黙示録』撮影全記録」(NOTES―On the Making of APOCALYPSE NOW)だ。
準備を始めてから書き終わるまであまりに長かったので、そもそもフランシス・フォード・コッポラの「『地獄の黙示録』をやろう」という初心でこの小説を書き始めたことすら忘れていた段階だった。
映画作りには、小説とはくらべものにならないくらいのお金が掛かる。撮影が難航し、資金繰りに苦しみ、スタッフも監督も精神を病む寸前まで追い詰められるさまはまさに映画の内容と二重写しになっているかのようで、その符合に震え上がった。
さて、この本のタイトル『夜の底は柔らかな幻』はシンガー・ソングライター(この言葉、懐かしい響きがある)久保田早紀が引退する前に出した最後のアルバムのタイトルである(その後、結婚し本名の久米小百合名義で音楽活動を再開。ポップスではなく賛美歌のアルバムを出しているそうな)。
世間的には「異邦人」の一発屋として記憶にあるやもしれないが、私は彼女のファンで7枚全てのアルバムを持っていた。エキゾチックなストーリー性のあるアルバム、独特のメロディーは、今聴いても全く古くない。当時、歌謡曲は何かがヒットすると似たようなテーマの曲、ヒット曲のメロディーの一部を取って次の曲を出す、という手法がしばしば取られていたが、彼女の2曲目が「25時」ではなく「九月の色」だったらどうなっていただろうか、と今でも時々考える(そう考えると中森明菜の「少女A」の次が「セカンド・ラブ」だったのは戦略として実に正しかった)。
引っ越しの際アルバムを全て処分してしまい、その後CDで最初の4枚は買いなおしたものの、未だに残り3枚、移籍後の『見知らぬ人でなく』と『ネフェルティティ』そして『夜の底は柔らかな幻』のCD版は出ていない。特にあとの2枚は彼女の到達点となった傑作アルバムであるだけに、切に復活を願うものである。
『地獄の黙示録』をやる、ということは、原作として知られるジョセフ・コンラッドの『闇の奥』に触れないわけにはいかない。19世紀末のイギリスが産んだこの小説、人間の持つ原始的・根源的な恐怖をここまでリアルに表現した作品はそうそうあるまい。
『地獄の黙示録』も凄い映画であるが、原作の『闇の奥』はそれにも増して空恐ろしい、決して長くはないのに形容しがたい奥行きを持つ小説である。
『夜の底は柔らかな幻』の構想は、元々は私の初期の短編「イサオ・オサリヴァンを捜して」まで遡る。これはベトナム戦争をテーマにした短編であったが、そもそもは世界各地のジャングルの奥に異質な生命体が埋もれており、それらが人類に接触して覚醒と進化を促し、文明の基を作らせたり、いわゆる超能力を持った新人類を誕生させたという設定であった。ベトナム編はこの「イサオ・オサリヴァンを捜して」を発展させた『グリーンスリーブス』を予定していたのだが、いわばその日本版として書いたのがこの『夜の底は柔らかな幻』だったのだ。
日本は島国であるにもかかわらず、「山の国」である。舞台は最初から高知をモデルにすると決めていて、担当編集者の皆さんと何度も高知にイメージを固めに行き、奥深い山の中を車で走り回った。なにしろ連載開始が2006年秋、連載終了が2009年の暮れ、そしてようやく本になるわけで、構想からかかわって伴走してくださった方はかなりの人数になった。皆さんに深く深く感謝申し上げる。愛媛県今治出身、連載中にぴったりの写真を付けてくださった近藤篤さんにも御礼を言いたい。
長年の課題だったこの本をようやく完成できた今、もちろん打ち上げは高知で、塩たたきとイカ団子でしめたいものである。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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