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真田幸村物の「定本」決定版。歴史の信繁、文学の幸村(中編)

真田幸村物の「定本」決定版。歴史の信繁、文学の幸村(中編)

文:高橋 圭一 (大阪大谷大学教授・江戸文学研究)

『真田幸村』 (小林計一郎 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #ノンフィクション

 徳川を贔屓し豊臣(特に太閤秀吉)を批判する『難波戦記』の中で、真田幸村(本作では幸村と記される)は大坂方の武将として格を上げる。

 冬の陣、真田丸での攻防戦では、幸村は楠正成のような軍師と讃えられる。彼の他に楠に譬えられた武将はいない。冬の陣の評定では後藤基次と共に、籠城するに当たり東軍に先制攻撃をしかけ、味方を募る戦略を披露する。が、この戦略は小幡景憲の反対と、それに同意した大野治長・渡辺糺のために用いられなかった。夏の陣五月七日の戦いでも、自分たちは正面から当たり、明石全登に別働隊として茶臼山の背後を衝かせる起死回生の戦術を立てたが敢行できず、一時は家康の先手を崩したほどの奮戦の末に討ち死にを遂げた。

 幸村は軍師としての力量を十分有していたが、大坂方には彼を存分に働かせることができなかった。『難波戦記』では軍師には成り得なかったのである。

『難波戦記』の幸村は、智略の人であるのに加えて、忠義の人になっている。冬の陣前夜、家康の命で幸村の叔父隠岐守が幸村のもとを訪れ、信濃国内で一万石の条件で徳川に味方せよと説く。幸村が断わると、家康は信濃一国を与えるという条件で、再度隠岐守を説得に行かせる。幸村は、「有り難い上意だが、秀頼の恩には代え難い。和睦すれば隠岐守の扶持の一部を貰って徳川に奉公する。合戦の間は、たとえ日本の半国を下されても味方しない」と言い切り、家康に従わなかった。(本書「信濃一国の誘い」によれば、徳川から幸村に返り忠は勧めたが、隠岐守と幸村の面談は困難であったらしい。)

 幸村と隠岐守の対話は創作であった。小林氏は、「幸村はなんのために死んだのだろうか。ふつう、故太閤の恩に報ずるためだとか、秀頼への忠義のためだとかいわれる。しかし、これは江戸時代的な考えで、幸村は豊臣家とはさほど深い関係はなかった。(はじめに)」と言われている。幸村の行動の基準が忠義でなかったことは、他の箇所でも主張されている。忠義の人、というのは泰平の世となり、主家を替えることが想定できなくなった「江戸時代的な」武士の理想像なのであろう。泰平の世に創造された文学作品の中で、時代の要請に従って、幸村は忠義の人として描き出された、と私は考えている。忠義と言えば古臭く感じるかもしれない。が、利によって左右されない、不利な状況に陥っても投げ出さない、ぶれることのない人間ならば、いつの世でも魅力的だろう。幸村は『難波戦記』以降、現代に至るまで、まさにそのような人物として描かれ続けている。


後編に続く

真田幸村
小林計一郎・著

定価:本体1,050円+税 発売日:2015年10月20日

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