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「寛容と忍耐」で経済成長路線を打ち出した池田勇人

「寛容と忍耐」で経済成長路線を打ち出した池田勇人

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 池田勇人は明治三十二年(一八九九年)生まれ。旧制第五高等学校を経て、京都帝国大学法学部卒業後、大蔵省入省。病気で退職を余儀なくされるが、復職。主計局長で終戦を迎える。戦後、大蔵次官を勤めた後、昭和二十四年(一九四九年)の総選挙に出馬、政界入りした。

 このとき一年生議員ながら第三次吉田内閣の大蔵大臣に就任、一躍脚光を浴びることとなった。しかし、当時吉田内閣に批判的だった新聞により、国会答弁が歪曲され、<貧乏人は麦を食え>と見出しが打たれ、本人の発言として後世伝えられることとなった。

 さらに昭和二十七年、通産大臣のときに、「不正投機をした人の五人や十人倒産してもやむを得ない」と発言したとされ、辞任に追い込まれた。

 昭和三十二年、自らの政策集団である宏池会を旗揚げ、派閥の長となる。昭和三十五年、安保闘争の結果岸内閣が倒れると、自民党第四代総裁に就任、内閣総理大臣となる。安保騒動後の不穏な政情のなか「寛容と忍耐」のキャッチフレーズで、国民との対話姿勢を重視し、また、「所得倍増計画」の経済重視を打ち出した。同年十一月の総選挙では自民党のCMに出演、「私はウソを申しません」のフレーズが、当時の流行語になった。

 OECD加盟など国際的に先進国入りを果たし、昭和三十九年には東京オリンピックの開催にこぎつけた。

 ただし、この年九月に喉頭がんのため、国立がんセンターに入院。東京オリンピック閉会式の翌日、退陣を表明し、後継に佐藤栄作を指名した。昭和四十年没。写真は昭和三十五年撮影。

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