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『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』解説

『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』解説

文:辻村 深月 (作家)

『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活』 (奥泉光 著)


ジャンル : #エンタメ・ミステリ

 主人公は、千葉県の権田市にあるたらちね国際大学に勤務する下流准教授、桑潟幸一。通称桑幸(クワコー)。日本文学を教え、文芸部の顧問を務める。文芸部の主な活動は、ざっくり言ってコスプレとコミケ出展。まるでバス車掌のごときイケてないスーツに身を包んだ部長や、普段からナースのコスプレをするナース山本ウザカワ女王様と呼ばれるギャル早田、村上春樹を読んでいることで「文学ゥ、って感じ」と声かけされる新入生など、まっさかー、と笑い飛ばそうとして一抹笑い飛ばせないリアリティーに満ちた面々が、文芸部には属している。奥泉さんは現役の大学教授でもあるが、まずはこの大学内の匂い立つような体温がすごい。「現代の大学ゥ、って感じ」満々なのである。

 さて、そんな学生たちから早々にクワコー呼ばわりされ、いいように使われる我らが桑幸は、事件と謎に巻き込まれる。

 赴任して早々、自分が与えられた研究室に四月限定の幽霊(エイプリル・ゴースト)が出ることを告げられる、『呪われた研究室』

 薄給の桑幸が、五十万円もの謝金を約束されて預かっていた手紙を何者かに盗まれる、『盗まれた手紙』

 学内の派閥争いに巻き込まれながら、敵対派閥(?)の教授の部屋で忽然と消えた森ガールの謎を追う『森娘の秘密』

 どれも、桑幸の滑稽で涙ぐましい生活(スタイリッシュ……?)の中で現れる日常の謎系だ。死人も出ないし、のほほんと最後まで読んでいけると思っていると、そこはやっぱり奥泉ミステリ。巧妙に張られた伏線に「おおー」と、息を呑むことになるからご注意を。ユーモア・ミステリという殻を被(かぶ)りながらも、明かされる真相は本格的だ。

 謎を解決するのは、桑幸ではなく、これまた、設定に耳を疑う「ホームレス女子大生名探偵」ジンジンこと、文芸部に所属する神野仁美である。彼女による推理は、登場人物が誰一人気づかない形で、既存のミステリへのオマージュや安楽椅子探偵ものの雰囲気を多分に提供しつつ、鮮やかに展開していく。桑幸の語り口と大学という舞台装置を巧みに操りながら、奥泉さんは本作で、ミステリというものを楽しく弄んでいるように、私には思える。

 そして、桑幸の活躍は、その後も、黄色い水着の謎という『桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2』に続く。また、桑幸は本作が初登場ではなく、モーダルな事象という既刊でもその姿が見られるので、ぜひ、お手に取っていただければと思う。こちらは、日常の謎の枠を出た、殺人事件を扱っているので、その意味でもぜひミステリ部分への期待値を上げて開いてもらえたら、ファンとしては光栄だ。

 余談だが、私は著者の奥泉光さんと恐れ多くも二度ほど、対談をしている。初めてお会いしたのは、文芸誌で『戦後文学を読む』という鼎談(ていだん)に臨んだ時だった。

 今だから言えるけど、逃げ出したかった。素地も知識もない私が、奥泉さん相手になんか話せること何もないっスよ、という気持ちでおなかが痛くなっていたところに、お会いした奥泉さんの持つ雰囲気の柔らかさにノックアウトされた。私などの話す見当違いな作品への解釈を「おもしろい!」と、目を輝かせて聞いてくださったことで、私は初めて、堅いと思っていた“文学”が、思いがけず楽しくほどける瞬間があるということを知った。

 クワコーのおもしろさを、一言で解説するなら、それは、であると思う。大袈裟(おおげさ)でなく、心から。

 愛の人、奥泉光さんの放つ情けないはずの下流准教授が、なぜこんなに愛しいのか。モンジや坊屋准教授の流れるような若者コトバに、なぜ引き込まれるのかも、すべてはそれをまっすぐ見つめる瞳に愛あればこそ。

 それをこの形で読める、私たち読者は幸せである。

文春文庫
桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活
奥泉光

定価:792円(税込)発売日:2013年11月08日

文春文庫
黄色い水着の謎
桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活2
奥泉光

定価:715円(税込)発売日:2015年04月10日

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