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すれすれとぎりぎり<br />赤瀬川さんや新解さんのこと(後編)

すれすれとぎりぎり
赤瀬川さんや新解さんのこと(後編)

文:鈴木 眞紀子 (「新明解国語辞典の謎」(「文藝春秋」連載)担当編集者・新解さん友の会会長)

『新解さんの謎』 (赤瀬川原平 著)


ジャンル : #随筆・エッセイ

扁額に止まるあぶの正体

 赤瀬川さんは十月二十六日にお亡くなりになり、二十九日に北鎌倉の東慶寺でお通夜がありました。この東慶寺にお墓をお作りになることについては、ぜひ『「墓活」論』をお読みになって下さい。

 お通夜の席のことです。テーブルに坐っていて、ふと上を見ると、「自●不息(二番目の字がよくわかりませんでした)」と書かれた扁額があって、作者の「寸心」という方の「心」の字の所に、あぶがじっと止まっている。

「あれ」

 と、思いました。最初、死んだあぶが字にくっついているのかと思いましたが、まさか東慶寺があぶ付きの扁額をそのまま飾るわけがない。そう思ってよく見てみると、あぶは生きていて、「心」の上でじっとしている。「おお」と、思いました。赤瀬川さんの戒名に「心」という字が入っているのです。偶然かもしれないけれど、もしかしたら偶然ではないかもしれない。これは何か新たな通信という可能性もある。

 わたしはお嬢さんの桜子さんに、

「見て下さい。ここにあぶがいて、寸心という署名の心の字の上に、ずっと止まっていますよ。これ、赤瀬川さんではないでしょうか?」

 あ、赤瀬川さんを、これ呼ばわりしてしまいました。すみません。

「あ、本当だ。お父さんかもしれない」

 桜子さんがおっしゃることには、病院の霊安室にこおろぎがいたそうで、ご自宅に戻ってからは、お部屋にあぶが入って来たそうです。そのあぶは、刺されるといけないからと外に出したそうです。それならこのあぶは、(ご自宅のある)玉川学園から北鎌倉までやって来たのだろうか。それとも、そのシステムはどうなっているのか知らないけれど、他のあぶに伝令が行き、別の個体が「心」に貼り付いたのか。わたしは気が付かなかったのですが、あぶは告別式にもいたと、お寺の奥様からのご報告もあり、あぶについては今後も研究の余地がありそうです。

(お通夜の時に扁額の作者の名前、寸心については、ふーんと思っていただけでした。その後町田の「尾辻克彦×赤瀬川原平 文学と美術の多面体」展に改めて行ったのですが、その時、赤瀬川さんの俳句の色紙がありました。「シャッターを切って落した秋の色」とあって、俳号は原寸でした。「あ!」と思いました。この事もご報告したいと思います)

 告別式から戻り、わたしは新解さんの七版で恩人を引いてみました。

恩人
危難から救ってくれたり物心両面にわたる支援の手を伸べてくれたり発奮の機会を与えてくれたりなどして、その人がその後無事・安穏に暮らしていく上に与って力の有った人。

 本当にそうです。今こうして原稿を書いているのも、赤瀬川さんのお陰です。

発奮
〔ライバルの活躍などに刺激を受けて〕よし、自分も(負けずに)がんばるぞと、気持を新たにすること。

 あはは、負けずにって、大切だ。そうです勝たなくてもいい、負けっぱなしは嫌ですよ。

冥福
死後の幸福。後生。『故人の――を祈る』

 まあ、冥福となると確かに普通は「お祈りします」しかないのですが、それでもわたしは、今後のますますのご活躍とご発展をお祈りしたい。赤瀬川さん、これからは路上でライカに撮影されて下さらないでしょうか。あぶでも、こおろぎでもいい、何か人体以外での通信手段を考えていただけないでしょうか。

 目の反射神経のいい赤瀬川さんの見つける物は、

「え、これのどこに良さを見つけたのですか」

 という驚きがあって、その面白さに気が付くと、

「そう言われれば確かにそうだ」

 と、今まで知らなかった発見を自分も手に入れている。そして、そういう新しい物件を面白がる赤瀬川さんを、わたしたちは何度も目撃してきた。

「もっと生きていたかったのよ。本当によくがんばってくれた」

 お亡くなりになったあの日の夕方、奥様がそうおっしゃった。そうですよ、あの気持ちのいいニラハウスで、ご自分の好きな物に囲まれ、路上にはたくさんの仲間がいて、ご家庭には優しい奥様、お父さんが大好きなお嬢さんがいて、それはもっともっと生きていたかったはずです。ああ、本当に残念だ。人間は必ずいつか死んでしまう。わたしも、あと三十年ぐらいたったら、また赤瀬川さんにお目にかかれるかな。その時は、大きな声で笑って申し上げよう。

「仏ですか?」

「あ、そうですよ」

「今はわたしもそうなんです」

 その時、新明解国語辞典は何版になっているかな。わたしは、きっとずっと調べて報告書を作っていくに違いない。そうだな、次にお目にかかれた時に、ご報告できるようにしておこう。それまで死なずに生きていこう。赤瀬川さん、ありがとうございました。お世話になりました。またお目にかからせて下さい。

新解さんの謎
赤瀬川原平・著

定価:本体550円+税 発売日:1999年04月09日

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