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第152回直木賞候補作(抄録)<br />木下昌輝『宇喜多の捨て嫁』(文藝春秋)

第152回直木賞候補作(抄録)
木下昌輝『宇喜多の捨て嫁』(文藝春秋)

木下 昌輝

出典 : #オール讀物
ジャンル : #歴史・時代小説

 宇喜多家の姫らしく、於葉はいくつもの色小袖を重ねて着こむ。花鳥の紋様がほどこされた帯で締めて、最後にその上から柿色の打掛を羽織った。裾と袖のあたりに申し訳程度に扇の柄があしらわれた質素なものだが、これを着ると於葉の心はなぜか落ち着く。稽古のために後ろで輪にしていた髪はおろして、丈長(たけなが)と呼ばれる和紙の髪飾りで結んだ。

 あとは老侍女の背中についていくだけだ。

 歩きながら後藤家の嫁取奉行のことを考える。宇喜多の家中で軽々しく於葉のことを毒蛇よばわりするのは、どんな侍であろうか。よほどの硬骨の士か、あるいはただのうつけか。

 そういえば、名前は何と言っただろうか。於葉は、自分の父である宇喜多直家の言葉を思い返す。猜疑心を発酵腐敗させたような父は、確か嫁取奉行の名を安東相馬(あんどうそうま)と呼んだだろうか。後藤家の中でも重鎮として知られ、飛び出た釘のように厄介な男とも宇喜多直家は毒づいていた。

 やがて、ひとつの座敷へと出た。畳が床一面に敷き詰められ、いぐさの薫りが立ち込めている。その上にひとりの男――後藤家の嫁取奉行が平伏していた。

 異様な姿だった。手足は座敷の畳に這うようにしてあったが、顔は床ではなく斜め前を向き、於葉を見つめていた、否、睨(にら)んでいた。

 仮にも備前(びぜん)半国の主・宇喜多直家の娘である於葉に、後藤家の一臣下が直視するなどあってはならない。本来なら、許しがあってから顔を上げるべきである。

 於葉をさらに戸惑わせたのは、安東相馬が全く悪びれずにそんな態度をとっていたことだ。頭髪は半分以上白くなっている。左頬には古い火傷の痕が広がっていた。肉付きはそれほどでもないが、年不相応に引き締まった体をしている。

 碁打ちの名手で武者働きよりも帷幕(いばく)の中で謀(はかりごと)を巡らすのが得手だと聞いたことがあった。しかし、決して戦場働きができない男ではないのだろう。汗と手垢が滲んだ佩刀(はいとう)の柄は、於葉の眼から見ても実によく使いこまれていた。

 猟犬が熊に襲い掛かるかのような平伏の姿勢だった。

「嫁取奉行を務めまする後藤家家臣、安東相馬」

 名乗る男の声は、庭で聞いたものと全く同じだった。於葉は目眩(めまい)を感じた。自分が歓迎されざる花嫁であることを、今更ながら強烈に思い知らされたのだ。

「宇喜多家、後藤家が手をとりあわば、主家である浦上(うらがみ)家の繁栄も間違いなし。毛利、織田などは、もはや敵のうちに入らず」

 安東相馬は、老いてはいるが呆けてはいない眼を於葉に向けたまま言上を続けた。彼の口からでた“主家である浦上家”の言葉が、ことの外軽い。於葉の父である宇喜多直家、そして嫁入りする後藤家はともに浦上家が主筋(しゅうすじ)だが、その忠誠は形式以下のものである。事実、父の宇喜多直家は数年前、浦上家に弓をひいたことがある。形勢不利ですぐに講和し形だけはまた臣従したが、いつまた戦端が開かれるか予断を許さない。

 同じく美作の後藤家も何度か浦上家に弓をひいたことがある。主家である浦上家が背いた家臣らの帰参を許すのは寛大だからではない。西に毛利家、東に織田家が圧力をかけている今、彼らの力――特に宇喜多家の力なくして独立は不可能だからだ。

「安東殿は碁の名手とか」

 於葉は、ふてぶてしく平伏する安東相馬に声をかけた。いや、投げつけたというべきか。下剋上を生きた女たちは、薙刀(なぎなた)で武装せざるをえない状況も少なくなかった。於葉は実戦で得物(えもの/武器)を握ったことはなかったが、宇喜多家では女ながらに剣術上手として知られている。まだ数えで十七歳の娘にしかすぎないが、悪意を持つ相手と談笑するような生き方は送ってはいない。

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宇喜多の捨て嫁
木下昌輝・著

文藝春秋 定価:本体1,700円+税 発売日:2014年10月27日

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オール讀物 2015年1月号
直木賞候補作発表
全5作冒頭抄録 全候補作家インタビュー

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