2014.07.01 書評

読み手の現実認識を問う問題作

文: 米光 一成

『ボラード病』 (吉村萬壱 著)

よしむらまんいち/1961年愛媛県松山市生まれ、大阪で育つ。東京都、大阪府の高校教諭・支援学校教諭を務める。2001年「クチュクチュバーン」で文學界新人賞、03年「ハリガネムシ」で芥川賞を受賞。他に『独居45』等。 文藝春秋 1400円+税

「ただちに影響はない」

 枝野幸男官房長官(当時)は繰り返した。善意と祈りから、「絆」「つながり」「助け合い」といった言葉が日本中にあふれた。ぼくたちが生きる現実だ。

 本を開く。五年二組クラス全員がふるさとの名を唱和する。

「海塚! 海塚! 海塚! 海塚! 海塚! 海塚! 海塚! 海塚! 海塚! 海塚!」

 舞台はB県海塚市。長い避難生活からふるさとに戻ってきた人々は“心と心が強く結び合った人たち”だ。

 主人公の恭子は、小学五年生。母親と二人で暮らしている。彼女には、母親がなぜ隣近所の目を異様なほど気にしているのか理解できない。庭の花をじっと見詰めているだけで叱られる理由もわからない。なぜ似顔絵を描いてはいけないのかもわからない。

 読み進めるうちに、それらの理由を想像してしまう。同級生の死が告げられる。通夜で、海塚の魚や野菜がおいしく安全であることが語られる。直接的な暴力は描かれないが、目をそらしたい世界の姿がゆっくりと立ち現れてくる。

 タイトルにあるボラードは、船を繋ぎとめる太い鉄柱のことだ。ボラード病とは、何を指し示すのか?

 尿意、臭い、歪み、染み出てくる血、こどもたちの死、黒ズボンの男たち、ふるさとを愛する普通の人たち。同調圧力によって生み出された世界の皮膜からこぼれ落ちるものが、これでもかと描かれる。

 ラスト、恭子の叫びにとどめを刺され、本から顔をあげた時、この現実の世界はどうなんだろうと考えないわけにはいかない。

“密かにはびこるファシズム”をデフォルメした寓話と読むか、善意と正義を疑わぬ世界を描いたディストピアSF小説と読むか、いや、これは今の日本の現実そのままではないかと読むか。読み手の現実認識が問われる問題作だ。

 みんなが唱和する。

「みんなは~」

「一つ!」