四百ページを超える厚さの本書を手にしたとき、読むのを少し怖く感じた。
本書の著者である野田洋次郎がボーカルとギターを担当し、作詞・作曲を手がけているバンド、RADWIMPSの音楽を、数年前から聴いていた。野田洋次郎は間違いなく、RADWIMPSにおける中心的役割かつ重大な存在を担っている。
RADWIMPSのことが気になりはじめたのは、彼らの声や曲もさることながら、歌詞だった。ストレートに恋人への思いを伝えるラブソングがあるかと思えば、別の曲では社会批判を含んだようなメッセージが歌われていたりもする。アルバム単位どころか、曲単位で表情を変えて見せる彼らの曲を、もっと聴きたい、もっと知りたい、という気持ちにさせられた。
前置きが長くなってしまったが、本書はそんな野田洋次郎の日記だ。はじめの文章から引用すると、【2014年2月から7月までの、半年間に及ぶ記録】。
読むのを怖く感じたと書いたのは、違和感に対する怖さだった。楽しく見ていたマジックのタネを明かされるような、さっきまで一緒に遊んでいた着ぐるみの中に人が入っているのを見てしまうような恐怖に近いかもしれない。
そんなふうにおそるおそるめくりはじめたページの中に、たくさんの言葉を見つけていった。どれもマジックのタネでもなければ、着ぐるみの中の人でもなかった。わかる、と深く頷かされたあとに、不意に突き離されてしまうような感覚が生まれたり、自分の把握した意味が、果たして本当に彼の意図した意味なのだろうかと考えさせられたりする文章。
つまり、わたしが惹かれる、RADWIMPSの歌詞世界と地続きの言葉が綴られていたのだった。
【でもね、アンケートにも書いたけど歌詞についての質問はやっぱあんま答える気にならないよ。その日によって違うもん、俺。答えなんてさ、その時の気持ちと今の気持ちも違うし。違っていいの。】
この文章に触れたとき、ハッとした。確かに、言葉に対して、たった一つの正解を見出そうとするなんていうのは、無茶なのかもしれない。同じ気持ちのまま生活することなんて誰にもできるはずがないのだ。それは嘘をつくということとは異なる。
日記の中に、突如詩のような一節や、エッセイのような追記が挟みこまれる本書を手にとるたび、以前とは違う箇所に目をとめ、心を揺らすのだろうと言い切れる。なぜなら、同じ気持ちの日なんて、一日たりとも訪れないのだから。